古山高麗雄「白い田圃」

ハチャメチャに面白いこの作品を、未読の人にどう伝えたらいいだろうか?
個人的に大好きな安岡章太郎(古山は「悪い仲間」の登場人物であるというのが2人の関係)の面白さとかなり近いかな。
定説のように言われる「劣等生の文学」=第三の新人に括られても自然な感じのする作風で、特に安岡に類似していると言えるだろう。
例えば安岡作品のなかでも取り分け笑える傑作「宿題」と同じくらい笑えるのがこの「白い田圃」だけれど、「宿題」は小学生の話であり「白い田圃」は劣等兵の話だという点では大きく異なる。
ただ大人の世界だけに、「白い田圃」はかなりエッチな話題が多いのも魅力かな。
と言われれば、安岡ファンなら古山文学に対しても食指が動くこと間違いあるまい、読んでおくれ!
2人の文学の共通点に目を向ければ〈批評性〉ということになるだろうけど、「劣等生(劣等兵)」の視点からの時代批評だから両者ともに正面切っての批判とは異なる。
以上記した2人の差異も共通点もあくまでもボクの感想に止まるのだが、関口クンは古山文学全体を視野においた「白い田圃」論をいずれ論文にまとめるということなので、ここでは発表の内容について詳しいことは書けない。
ただ前半は「白い田圃」における「戦争の書かれ方」の特異性を論じ、後半は前半の考察に基づいて古山高麗雄の出発点の考察が目されている、というのは明かしても大丈夫だろう。
学生に全共闘運動(新左翼)について語る際に、よく《旧左翼は被害者意識から運動を組織していたけれど、新左翼は加害者意識から自己・他者・世界を批判した点で大きく異なる。》という説明をするのだけれど、関口クンの古山の読み方にはボクの新左翼理解につながるものがあるので共感できる。
何だか1970年に出てきた古山高麗雄が、70年安保を闘っていた全共闘とシンクロしていたような気にもなってくるというもの。
もちろん関口クンの論はさらに別の観点からの分析へと展開していく興味深さも兼ね備えているのだけれど、詳細は論文を楽しみにしてもらいたい。
欲を言えば、もっとエッチな笑いについての言及・考察が欲しいのは、例えば鴎外「ヰタ・セクスアリス」で近所の少女の性器を見るために主人公の少年が着物の裾をまくって廊下から飛び降りさせる場面など、「白い田圃」でも高年齢化してくり返されているように思われるのが興味深い。
《私より二年下の由美ちゃんなんか、(略)あの由美ちゃんのマンコは、水密みたいにつるんとしているだけだ。夏になると由美ちゃんはズロースをはかないから、》以下略ながら、時代を隔てながらも「ヰタ・セクスアリス」に近似していくのは想像できるだろう。
ただ古山の主人公は、戦地にいながら少年期の性を思い出しながら「メンス」にまつわる妄想へと広がっていくので、鴎外にはない笑いがタップリ味わえるのが強みである。
笑いといえば、「白い田圃」に状況が似ている井伏鱒二「遥拝隊長」が想起されるので、両者の笑いの質について自分でも考えてみたいと刺激された。


もちろん「白い田圃」の主人公は性的な回想をしているばかりではなく、現実の「朝鮮人慰安婦」を買った経験についても語るのであるが、それも爆笑ものの語り口だ。
読みたくなった人は古山の『二十三の戦争短編小説』(文春文庫)が手軽に入手できるのでおススメ!
ボクは自分では操作しかねるアマゾンで、ユウ君の手を煩わせて単行本を安価で入手できたけれど、その前に自家に揃っている『戦争×文学』のシリーズの第12巻「戦争の深淵」に収録されているので読了してあった。