法政大学江戸東京研究センター シンポジウム「文学と東京」  田中和生  山田夏樹

25日のシンポジウムに行ってきた.
昨年度の受講者で今年は茨城県の公立校の教員になっているという須藤クンも参加すると聞いていたので、彼に会うのも楽しみだった。
母校のシンポだけでなく12月の昭和文学会の催しにも参加するという意欲を聞き、とても嬉しかった。
授業を担当したどの大学の院生にも、在学中も修了後(就職して)も積極的に学会に参加するように言い続けてきたので、キチンと受け止めてくれる人がいるのはとっても嬉しい。
学大のサトマン君などはその意欲を持続させながらも、埼玉の私立校なので部活など多忙すぎてヒグラシゼミにも出られないと嘆いているのはカワイソー。
ともあれ5時間に及ぶシンポジウムはスゴイ充実感でお腹イッパイという印象ながら、中でも田中・山田両氏の講演に強い刺激を受けた。
山田氏のものは「あしたのジョー」と三島由紀夫「音楽」を関連させて論じるものと期待したものの、三島の方はその他たくさんの作品群の1つでしかなかったのは拍子抜けながら、「あしたのジョー」についての参考文献も寺山修司を始めとしてスゴク面白かった。
三島がジョーを愛読し続けたとはビックリだけど、同時代に連載されていた漫画はジョーも星飛雄馬も読んだフリだけで実は読んでなかった者としては、いつも山田さんの論には教えられる一方で楽しませてもらっている。
力石徹も知っているけれど、彼が登場する前後で作品が2分されるという把握の上で、前半が「ドヤ街」をキーワードにしているという論じ方は、改めて作品を読んで確認したくなるほど魅力的な論だ。
何せジョーが山谷の暴動にも潜在的につながる「階級闘争」を暗示したものだという論まであるというし、言われてみれば当時周囲でもそんな議論を聞いた気もしてきたものだ。
その他、山田論は三島のみならず石川淳「焼け跡のイエス」等々にも言及しながらむやみと広がっていくので、これ以上ボクが紹介するよりも、論文化されてから読んでもらった方が正確に伝わるだろう。
1つだけ個人的に驚いたのは、作品の冒頭部らしいところで豚の群の暴走が描かれた後で、収容されている人物たちがお化けのように描かれていたので、まるでドストエフスキーの「悪霊」のパロディかと感じた時だ。
後でヒロインが聖女のように描かれているとすれば、ひょっとして「聖書」あるいはキリスト教世界のパロディとしても読めるかもしれないと妄想してしまったものだ。
続いて田中さんの講演の感想を続けようと思っていたけれど(昨夜)、長くなりそうなので欄を改めることにした。