仲間の法要  全共闘運動

ところでルオー展にはわざわざ出かけたわけではない。
「フランスに行きたしとおもへども フランスはあまりに通し」と歌った朔太郎じゃないけど、多摩地区に住んでいう身には「都心(新橋)はあまりに遠い」のだナ。
今回は保土ヶ谷で大学同期入学の友人の四十九日の法要があり、帰り道に寄った次第。
ずっと野球部で青春していたヤツなので、全共闘運動で共に闘ったいうツナガリではないものの、「闘い」の青春を楽しんだという点では共通していたかな、どちらもヘルメットが欠かせないし(笑え!)。
でも一緒に行った尻軽オトコ(?)の全共闘仲間が野球オトコの故人と付き合いがあったので、尻軽オトコを媒介にして野球オトコもボク等の仲間になったという経緯だ。
法要には故人と同期の野球部員も1人来ていて、これがまた天然でメチャ面白い御仁、このアツシ君(仮名)の証言によれば野球オトコは野球部内でも全共闘支持の立場で発言していたと聞き、とっても嬉しかったのだナ。
アツシ君自身はどちらかというと反全共闘の民青(共産党支持)と行動を共にしていたとのことで、民青がストライキを終わらせるために代議員大会を駒場寮の屋上で開催する前夜、ボク等全共闘がそれを阻止するために暗い中で民青たちと互いに武装して衝突したのだけれど、その時にアツシ君も敵側にいたと聞いてビックリ!
その時に民青が投げた1升ビンの火炎瓶(全共闘側はコーラ瓶の大きさ)がボクの隣りにいた仲間に燃えついたので、あわてて火消を手伝ったことは忘れない(さすがに共産党配下の民青の火炎瓶は年季が入っていたナ)。
ちなみに同行した尻軽オトコは、ボクの生涯唯一の小説である「イソップ新話」(定時制で文芸部の顧問になった時に、記念に書きおろしてあげたもの)の副主人公だヨ。
定年退職時に資料としてお配りし、「口演」に退屈したら読んでもらうようにしたもの。
定時制の同僚で小説を書いていた優れた古典の先生からは高く評価してもらい、芥川賞の選考委員会宛てに送るよう勧められて苦笑した。
しかし三田誠広「ボクって何?」が受賞した時は、「イソップ新話」の方が上だとウヌボレたものだ。
あろうことか、非常勤講師先の聖心女子大学の院生たちが、この小説で読書会をしたと聞いた時はアキレたヨ。
大東文化大学の専任講師となった安部公房研究者の木村陽子も、その時の院生の1人だったと思う。
彼女の公房論が2刷りが出たほど売れたのは、研究書としては近年にない素晴らしい成果、買って読んでおくれ!

故人の奥さんが昔のクラス会(ケジラミ会と言う)の写真を持参してくれたのだけれど、そこに写っていた10人の中で野球オトコが3人目の死者となった(肺ガン)。
間もなく古稀を迎えるのでこの世への未練が薄くなりつつあるけれど、仲間に先立たれるとやっぱり淋しいネ。
でもこのところ配達されてくる喪中ハガキの逝去年齢が、90代のみならず100歳以上とも記されていると、ゾッとしてくるナ。
他人はともあれ自分の身で想像してみると、ボケと老醜が増すばかりなのは避けられず、そこまでは長生きしたくないとホンキで感じているヨ。
釣りを楽しんでいられるうちは、生きていてもいいナ。
年末(29・30日)の釣り部には5人の仲間で館山行、呑み部も含めてワクワクしているヨ、おいでヨ!