大学同級生のブログ感想(2・7)  内田樹   「シドクⅡ」?

1968年入学の同級生2人からブログに関する感想が届いた。

1つは「姪」との「恥丘」談義が面白いから、この調子でユーチューバ―になったら、というおススメの言葉。

「姪」ではなく、トトロに出てくる丸顔のメイちゃんにソックリなので、「メイ」と呼ばれている大学院修了生のことだと註しておいた。

(ちなみに唯一の姪の名はひらがなで記せば「ゆか」なんだけど、「恥丘」談義の末尾に出てくる卒業生の名も、ひらがなで記せば「ゆか」なんだナ。)

 

巨大な広告会社員だった彼に指摘されて気付いたのだけど、ブログに広告が附いているから、というのもユーチューバーを勧めてくれた理由。

そもそもユーチューバーというのが何なのか、よく分かっていないけど、たくさん読者を増やせということなんだろう。

だとしたらボクの意図とは真逆なので、ありえない方針だネ。

生き方の根幹に《○○とオンナは量より質》(この場合なら○○には読者が入る)というモットーがあるので、むやみに読者が増えることを狙っていない。

だから10年ほど前にヘイカが開設してくれた「はてなダイアリー」の頃から、読者が書きこめないように設定してもらっている。

あくまでも今まで個人的につながりがある人(主に卒業生)に伝えたいことを記しているので、反論・質問・相談があればメールでやり取りしているから不自由してない。

落ち込みやすい仲間が少なくないので、常に笑って元気を出してもらえるように書くことを意識している。

赤の他人に対して閉ざしているのは、そういう意味で「小国寡民」を理想としているからだ(別に老荘思想に入れ込んでいるわけでもないけど)。

最初の著書『小林秀雄への試み 〈関係〉の飢えをめぐって』(洋々社)の頃から、〈関係の飢え〉はボクのテーマの1つに違いないけど、その〈関係〉もあくまでも「量より質」なんだナ。

このターム(用語)は学生時代の吉本隆明読書から引き出したものだけれど、今手もとの吉本詩集を広げたら「小さな群への挨拶」という作品に、

《たくさんのひとと手をつなくというのは卑怯だから》というフレーズが見つかった。

少々意味合いがズレるけれど、「たくさん」(量)が価値だとは全然思わない。

東大闘争のまっただ中で、ストライキを貫いて進級試験を拒否して留年したら、69年に入学試験が中止になったために70年のクラスに落とされた。

そこで同級生になったのが内田樹で、卒業後に彼がブログで有名になりだした頃ボクのことも書いたらしく、PC好きな学生が「内田樹が先生のことを書いてますヨ」と教えてくれたけど、ブログというものがよく分からなかくて関心もないし、在職中は読でるヒマも無かったナ。

 

卒業後「朝日新聞」のコラム記事で、毎回イイ事を書くヤツがいると思って愛読してたら、それが内田だったのでビックリしたのを忘れない。

毎回付されていた写真が、内田とも思えないブサイクだったので気付かなかった次第。

内田の著書にはボクと正反対に《質より量》を狙った粗いものもあるけど、売れるとメディアに消費される存在になってしまうのが定番だから、ご自由にどうぞと言うしかない。

退職時に記念本を出版するというのもありがちだったけど、ボクは安吾論を増やしてからとも考えていたので見送った。

でも情けないながら、安吾論が進まないうちに年齢が進んでしまい、いつボケて自著がまとめられなくなるか分からなくなったので、古稀を記念して最後の著書の3冊目を出すことにした。

《量より質》なので、選び抜いた作家が当初は「太宰・安吾檀一雄」(リズムが素晴らしい?)だったのだけど、三島由紀夫も捨てがたくなって「太宰・安吾に檀・三島」という不甲斐ない表題になりそう。

2冊を出してもらった洋々社が新本を出せなくなったというので出版社は変わるけど、2冊目の「シドク」は継承しようと考えている。

半年以内には出したいと考えているけれど、記念の会は東京と宇都宮で催してナマの仲間と会うのが楽しみ。

 

(69年の同級生もう1人の感想を記す余裕がなくなったけど、それは機会を改めて。)