もう1人の大学の同級生が、メールしてくれた感想。
仲間がCcでもやり取りしているけれど、そのCcをボクが理解できずに使いこなせていないので、その説明を丁寧にしてくれたインテリ農夫で、大学教員だったのは彼とボクだけ。
Ccは carbon copy の略で、カーボンというのは・・・と学生時代の定番(今ではコピーが当たり前だけど)だったカーボン紙を引き合いに出して説明してくれたのだネ。
学生・卒業生はボクがパソコンに無知なのは周知の通りだけど、学生時代の仲間からも(当時「セキヤのバカ」で通っていた、「ヨシダのアホ」や「カワカミのキチガイ」もいたけど)常識に欠けているので教えてやらないとダメなヤツ、と思われていた。
ありがたい説明を聞いていたら、すぐにカーボン紙にまつわる懐かしい思い出が蘇えってきたので、以下の返信(後半部のみ)をした。
「宛先」のところに個人名が出るか、複数名が出るかの違いかと思っていたけど・・・
でもカーボン紙とは懐かしいネ。
駒場が試験期間の時に、チャンテック(この茶店は線路のすぐ脇にあった)で皆がカーボン紙にノートを手分けして写してしたのを覚えている。
オレだけは免除されたのは、「セキヤの字は汚くて読めないから」という理由も忘れない。
その後も今日まで、自分で書いた字が読めないことがしばしばあったから。
でもせっかくのノートの写しをもらっても読まなかったので、カワカムリから「少しは勉強しろ」とか呆れ顔で「最初から投げているナ」とか言われた記憶も残っている。
闘争後のせいというわけではなかったのだけど、教養部の科目はまるで勉強する気が起きなかったのは確か。
自然科学と社会科学の単位は駒場(教養部)では取りきれず、本郷7年目でやっと取り終ったのも事実。
それも担当教員の憐みの情からもらえた単位だ、という自覚はあった。
とても大学生レベルの答案ではなかったのだから。
もう1つのカーボン紙の話題。
カワカムリがオレの武蔵小金井の下宿に入り浸っていた時、駅傍の食堂の帰りに彼が急に便意を催してパチンコ屋を探しながら、「便所に紙が無かったら、このカーボン紙で拭けばいいナ」と言ったのも覚えている。
ちょうど試験期間でカーボン紙を持っていたのだろネ。
「これで拭いたら、ケツの穴が真っ黒になるナ」と、2人で笑ったのも忘れない。
青春ならぬ「黒春」の思い出かな?
(注) 大学入学時には、合格発表前に、先に入学していた前橋高校の同級生の名前で下宿を借りて住んでいた。
その同級生は、落ちることを考えないオマエはズウズウシイ、と呆れていたナ。
西永福で駒場から近かったので、駒場の第八本館をバリケード封鎖してクラスの部屋も割り当てられていて、そこで楽しい「青春」を送っていたのだネ。
ジンセイのクライマックスの1つだったネ。
でも下宿のお婆ちゃんがケガで長期入院してからは、下宿に仲間が入りびたって独りでいることは月に1・2度という状態だった。
というわけで1年後には大学から離れた武蔵小金井(前原町)に引越したのだけど、カワカムリ君はそれでも来て長期滞在していたこともあった。
その当時は駅の北側には行ったことがなく、学芸大学があることを知らなかった。
Ccについて丁寧に教えてくれた仲間だけは、アップした写真を見て「胃液が逆流しそうだった」と言ってきた。
男女を問わず、ボクにも吐き気をもよおすような裸体(写真)があるよナ、確かに。
10年近く前の写真なのに、勘違いして古稀でこれなら「元気が出る」と言ってきた仲間もいるのだけど、裸だといろいろな感じ方を刺戟するのかな、ウーマン・リブやLGBTも含めて。
前にも記した通り、あれは序の口でもっと笑える写真をユウ君のスマホが蓄えているので、追い追い見て呆れてもらおう。
イチローの自虐ぶりはハンパナイのだヨ。