百田尚樹は低能右翼だけど・・・  高見順  (2・11)

百田尚樹(補遺)  藤井四段

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ボッチから、「百田の小説がまた映画化されたようです。昔のブログ記事を読み直しました。」と言うメールが届いた。

1年半ほど前の記事だけど、吾ながら正論だと思う。

日本では作品(仕事)と作者(実生活)との混同が激し過ぎるのだナ。

太宰は人間としてダメだけど、作品はどれもピカイチなのを認めることができなければただのバカだヨ。

監督に戻った原辰徳が女性問題を起こしたことがあったけど(ホントにバカだね)、それと選手や監督としての評価を混同してはいけないということだヨ。

それにしても、ブログ記事中の「シャレ」の意味が分からないのも「吾ながら」だネ。

百田も百田だけど、純朴な藤井少年に「百田なんて読むナ」と言った朝日も朝日で、極右も極左も低能なのは先日記したとおりだネ。

朝日新聞が極左とは思わないけど、「百田は極右の低能だから、純朴な藤井少年は読むべきでない」という発想は、百田を裏返しただけのバカな極左だよネ。

それにしても『昭和文学盛衰史』は絶対読むべき名著だヨ。

「故旧忘れ得べき」や「いやな感じ」という小説もネ。

関谷一郎という人の高見順についての論が手引きになるし。

そう言えば、高見順も自身が私生児としての苦悩をくり返し作品化したのに、熟年になってから劇団の女に私生児を生ませたけど(高見恭子)、それは高見順の作品の価値をいささかとも下げるものではない、分かるネ。

人間としてはNGだけど、作品の素晴らしさに変りはないということ。

(ボッチの調べによると、ブログには百田記事が他にもあるそうだけど、必要があれば別に貼り付けるネ。一緒に貼る技術には自信が無いから。)

 

百田尚樹に関わる興味深い傾向を付すのを忘れていた。
古来(といっても大衆小説の始発は大正末頃だけど)大衆小説・通俗小説作家は思想的に右翼的になる傾向があるという。
高見順『昭和文学盛衰史』で読んだ気がしたのだけれど、該当箇所が見つからない、平野謙の著作だったかな?
ともあれ直木賞の由来となった直木三十五が右傾化の典型だったように記憶するが、直木賞作家の多くが文字どおり大衆(今で言うポピュリズム?)のレベルに合致しながら大衆を破滅に導いていったことを忘れてはならない。
直木三十五の作品同様に、百田尚樹の小説が売れたであろうが、それが国民を政治的に右翼的に偏向させていくか否かは読者の判断力の問題であって、藤井四段の読書傾向を朝日新聞が限定して良いわけはない。
百田の小説が売れるのは通俗小説を書く能力があるからであって、その能力と低能な右翼的発言(沖縄の進歩的新聞は2つとも潰さねばならないとか)とは別物だということは自覚していないと、不毛な排除合戦に陥ってしまう。
小説を書く能力は言わば《公》であって、低能な発言は《私》に属するのであり、この《公私》は混同されてはならない。
朝日新聞がこの「公私混同」を犯して「藤井四段は百田の小説を読まない方がいい」と決めつけるのは、根本的に誤っているという外ない。
誤っている以上、この点に関しては百田と藤井四段に謝った方がいい、なぁんてシャレてる場合じゃないか。
それにしても百田ってホントにバカだよネ、余計なことを言って己の作品を侮辱しているようなものなのにネ。