インスタ映え  つかこうへい  上野千鶴子  《共感者とオンナは量より質》

「にい釜旅館」が廃業すれば館山はとてもイイ町だ、と伝えるために釣果をアップしたら、ユウ君が自分のスマホに保存してあるイチロー写真から2枚を下書き保存の形で送ってくれたので、そのままアップしたらブログがまるで流行りの「インスタ映え」みたいになっていて自嘲の笑いが洩れたネ。

ケイタイもスマホを持ったことのないボクが言う資格はないかもしれないけど、そもそもインスタ映えと言いながら、むやみと自身の写真をアップして得意になる気持がわからない。

実態は知らないけれど、「いいネ」が集まるとさらに喜ぶというのだから理解できない。

未知の多数に褒められて何が嬉しいのかネ? 

《共感者とオンナは量より質》なのであって、たった1人でも自分をよく知る仲間から賛同された方が、喜びは遥かに大きいと思うけどナ。

芸人として信頼・評価していたアンジャッシュの渡部(児島の相方ネ)が、売れて来たと思ったら美食漁りをして料理をアップしていたので、「下らないことやってないで、もっと芸を磨け・良いコントを書け!」と思っていたけれど、海老蔵が自分や家族をアップし続けているのは役者だから許容できても、今やド素人たちが見るに値しないドヤ顔をアップしていると聞き、スマホをやってなくて良かったと思っている。

このような傾向を、若い頃ハマって追っかけていたつかこうへいが早くも、

みんなが役者になるいやな時代

と言ったそうだが、まったく同感だネ、名言!

つかこうへいの舞台はけっこう観たけど、エッセイはほとんど読んでないから、この言葉は上野千鶴子の名著『〈私〉探しゲーム』(ちくま文庫)からの引用で、全体は以下のとおり。

《匿名の他者の視線が内面化されると、私たちはどんな時も「私らしさ」を演じはじめるようになる。見て見て、これが私よ、と観客を求めずにはいられなくなる。「一億総出たがり屋時代」がやってくる。みんなが役者になるいやな時代、とつかこうへい氏はいう。》(pp.96~99)

カラオケの流行にも通じる傾向なのだろうけど、シロウトのど自慢が大嫌いなボクとしては、インスタ映えをねらったシロウトの「自撮り」(妙な言葉だネ)など抹殺したいネ。

断っておくが、仲間の歌なら下手でも聴いていられるし、仲間が写っているなら写真も飽きないと思うヨ。

この記事を書いている最中にツクホーシから、新しいブログを見つけて覗いてみたら(ずっと旧ブログばかりをチェックしていたため、更新されなくなったので心配してくれていた)いきなり「イチロー人形」の写真が出て来たので「笑えました」とあった。

「いいネ」は全然欲しくないけど、「笑えた」はそれが狙いなので嬉しいネ。

こういうのを「インスタ映え」の代りに何と言うのかナ?

ともあれ笑って一瞬でも気持が明るくなってくれれば、それで十分。

ボクを含む複数の写真でもっと笑えるのもあるけど、他の人のプライバシーは大事にしなくちゃいけないから、イチロー独りのアホ写真に限るヨ。