ヒザに痛みを覚えてユックリ歩いたせいか、河添さんの講義にギリギリの時間に着いたのでトイレに行く時間が無かったため、最後の10分ほどは外にいたことは記した。
河添さんの催しなので司会の黒石さんも「定刻主義」を守ったのだろうけど、ボク等「反帝国主義者」には定刻開催というのはツライのだナ。
あの時も痛んでいた右脚のヒザがさらに悪化したので、きょう国分寺の整形外科に行ってきた。
トシをとると膀胱が縮小するせいか、トイレが近くなることもパーティで注意を向けたけど、今日も国分寺駅から脚を引きずって歩いているうちに尿意を催したので、初診で場所もハッキリしない病院へ急いで何とかトイレに入ったとたんにじみ出てきてアブナかったヨ。
河添宅は三鷹・禅林寺に近いそうだから、駅から10分ほどだろう。
自家は国立駅から徒歩13分くらいだけど、ダイジョブだと思って歩き始めたものの、家に着いたとたん安心したせいか洩れに洩れたことが2度か3度ある。
これからは駅で済ませてから帰宅した方が「尿意万端」だ、という具体的な注意事項まで考えていたけれど、時間もないので端折(はしょ)った。
次々と言いたいことが浮かんだけれど、時間が気になって「ハショります」をくり返すうちに笑いが取れたので、後はキーワードにして使った。
ハショって自分としては早めに切り上げたら、大井田さんから最後のハショり方が良くできていたと言われたけど、そんな余裕などあるもンか、ネタの量の割に時間がないので焦っていたのだゼ。
イー君から「河添先生の最終講義は仕事に重なって聴けなかったけど、イチロー・ブログで様子が分かってありがたかった。」というメールが来た。
詳しく書いて良かったと思ったけど、パーティの楽しさは伝えられてないのがザンネン。
ボクの挨拶の基本は、ボクらのような反逆者と比べると、河添さんがいかに〈優等生〉かということを参加者と確認することだった。
だから配布された小冊子とプリントを参照しながら、講演を振り返っていかに考え抜かれた構成と時間配分ができていたをボクの場合と比べて話した。
タイムリーにも昨日ユウ君が送ってくれた写真のとおり、ボクの「口演」(講演ではない)の時は口演席の横には花ではなく差し入れの酒が並べられていた。
「葬式じゃあるまいし、花なんか要らないから酒おくれ!」というボクの要望に応えてくれたものの一部である。
話の内容としては、参加予定者にアンケートをとって応えたとおり、河添さんと同じく半生を振り返るものだったけれど、終ってから千田洋幸センセイに「今日は履歴の6行までで終わってしまいましたネ」と言われてしまった。
呑み会が始まるまでのつなぎとして話をするというイイカゲンな発想だったので、ダラダラと語っているうちに高校入学までにたどり着かなかったのだネ、体調も悪かったけど。
当初は河添さんのように小冊子(というより厚めのプリント資料)を用意しようとは考えていたものの、全然実現できなかったのは優等生ならぬ性分だろネ。
河添さんの小冊子は、イー君はじめ参加できなかった人はおねだりして頂戴するとイイよ、河添さん以外のことでも役に立つこと請け合い。
河添さん自身のことでは105ページの、東大博士課程を辞めようとしていた頃の《半ばふてくされて暮らすことになる。》という所がナマナマしくて読ませるヨ。
嶋中さんの最終講演も、意外に話しが上手くて楽しめたけど、河添さんの語りは計算尽くされていてよどみない完璧さ、宮腰先生が感嘆していたのも頷けるもの。
山田先生の語りは計算抜きにいつも滔々(とうとう)とした話しぶりで名人芸だと思うけど、河添さんのはいかにも優等生のソツなさで感心したナ。
学部を4年で済ましたのはフツーかもしれないけど、7年かかったボクからするとそれも河添さんを優等生に見せるから不思議だ。
博士号を取得したのもスゴイと讃えつつ、山田さんの背中を見ながら付いてきたボクとしては、山田さん(も三好行雄師)も取らなかった博士号をボクは取らないと失言してしまったけど、実は院修了生を取り巻く状況の変化であって、一生取る気などない。
河添さんの世代からは(特に古典専攻の場合)博士号の有無がその後の人生行路を左右することもあるので、当然そしていとも簡単に取得したわけだネ。
優等生らしく博士課程からいきなり学大の講師になったので、ボクのような高校教員の経験がなかった分、それなりの苦労もあったようだけど、その後の努力が学大出版会の『アクティブ・ラーニング時代の古典教育』という成果になったようだ。
自信作のようだから、皆さん買うべし!
書類を書くのが苦手で大嫌いな山田さんとボク等とは異なり、河添さんはお得意の「唐物」の資料集めのために科研費をとって励んだそうだけど、必要があれば躊躇なく面倒な書類でも書いて提出できてしまうのは、やっぱり優等生の手際だよネ。
単著が10冊もあるのも優等生の証拠だよネ、ボクはボケる前にとやっと生涯最後の3冊目を準備している最中だヨ。
講演を聴きながらも覗いていた冊子に、気になる点が1つ。
講演では有名な「このわたりに若紫やさぶらふ」を公任(きんとう)の言葉として紹介していたけれど、冊子の118ページには藤原の行成の言葉として記している。
念のために院生時代の秋山虔先生のテキストだった岩波文庫で確かめたけど、やはり記憶どおりの公任だった。
誰か説明しておくれ。
昨日ユウ君が送ってくれた写真をもう1枚。