法政大学江戸東京研究センター「追憶のなかの〈江戸〉」 森鴎外  栗山大膳  佐橋甚五郎  石川淳  小林秀雄

法政大学のシンポジウムに行ってきたヨ。

関口雄士(たかし)君の発表だけでなく、中丸宣明・大塚美保さんのも聴きたかったけど、学生に上げる本を選んでいるうちに遅くなってしまった。

美保さん(ダンナが後輩の大塚常樹だから「大塚さん」と呼んだことがない、差異化のための呼称)の途中から聴けたけど、好きな鴎外歴史小説の地理を当時の地図を画面に映し出して説明してくれたのは、想定以上に楽しかった。

鴎外が歴史小説に付す主人公の系図や生涯などの「付録」の意味を質問したけど、イマイチ納得できなかったナ。

最近「栗山大膳」という伊達騒動みたいな作品が話題になっていて(Eテレの「知恵泉」だったかな)、主人公の大膳が主君(黒田如水の孫)に反省を促すために大芝居を打ってお家を守った清廉さが強調されていた。

この作品の出だしの緊張感は未だに忘れない、一読をおススメ。

半年ほど前だったか、新聞の書評欄に佐橋甚五郎の詳しい伝記小説(?)が出たと知り、鴎外の同名の小説を思い出した。

鴎外のは家康の側から甚五郎のナゾの行動を不可解なまま投げ出していたので、実情を知りたくなったけど、その作品は読まずに終りそうだナ。

 

関口クンの発表は堂々としていて学生ではないような余裕を感じたネ。

石川淳の〈江戸留学〉という趣旨もよく伝わってきて、とても面白く勉強になった。

石川淳小林秀雄とは共通する点が少なくないのだけど、小林が西行や実朝など中世に関心が行ったのに対して、石川淳がなぜ〈江戸〉に興味を覚えたのかという差異が気になっている。

小林には江戸の猥雑なイメージが合わないけど、石川はそこに違和感なく馴染んでいるという差異は何だろう? 分からない。

関口クンは使わなかったけど、ボクが敢えて中世の〈雅〉に対する江戸の〈俗〉という対比をその場の思い付きで出してみたら、大田南畝の権威である司会の小林ふみ子さんからすぐに「例えば南畝にしても大変な教養があるので〈俗〉ではない」と叱られてしまった。

ボクが言っていたのは、江戸の戯作者が揃って教養人なのに、表現になると〈俗〉に拘るというところだったのだけど、不思議だよネ。

学生時代に堤先生の授業で、「田舎源氏」にしても「好色一代男」にしても、式部の「源氏」を自家薬篭中のものとして下敷きにしていると解説してもらい、すごく驚いたのを思い出したものだ。

芭蕉の「軽み」を想起しても、江戸文学には中世文学には感じられない〈俗〉な感じを受けてしまうのは、今でも続いている。

その小林さんから、シンポジウム後の懇親会で前回と同じく実に美味なワインをたくさん呑ませてもらい、シンポも呑み会も参加した甲斐があったと感じたネ。

ワインの選択1つとっても、(江戸の)広大な教養に基づいているとは! 己の浅知恵を思い知ったネ。

休み時間に、学生時代の「同級生」(カギ括弧の意味は前回の記事参照)だった真鳥さん(旧姓石川・現姓山本)としばらく話す時間を持てたのも楽しかったナ。

中丸・藤村・関口という酒豪とは付き合いきれないので、一次会で逃げてきたのは正解だネ。