江戸(文学)の難しさ(続き) 石川淳と小林秀雄

石川淳小林秀雄との異同の問題で、関口クンが応じてくれた面白い指摘があった。

さすがに小林もよく読んでいる関口クンだけあって、「小林も徂徠とか宣長とか、江戸に興味を示しているではないか?」という問題を質してくれた。

ボクの応えは、徂徠も宣長も〈俗〉に遊ぶという(ボクの)江戸知識人のイメージとは異なるから、小林は石川のように〈江戸留学〉ができなかった、というものである。

ボクはパロディが大好きだから、「犬枕」や「似勢物語」などを知った時には殊のほか喜んだものだけれど、それらの文学活動とは徂徠も宣長も方向を異にしている以上、小林秀雄がまったく関心を示さなかったのも納得できる。

どうも〈江戸〉というものは、つかみ所のない広さと深さを具えているものらしい。

そういうイメージが石川淳にピッタリするから不思議だ、関口クンの今後の研究に期待しよう。