LGBT問題

LGBT、このアルファベットの種類も順番も時々忘れている身ながら、世間の差別意識に対する反発がつのる一方だ。

自分が生来一徹のヘテロのお蔭で、セクシャリティは自然で不動なもの=オカマ等は不自然で正常ではなく可変なもの、と長いこと思い込んでいたけれど、世界の動きとともにそうではないことが加速度的に理解できるようになったものだ。

一番驚いたのは、セクシャリティの意識は変えようがないから、身体の方を意識に合わせた性転換の手術を施すという発想だった。

言われてみれば、オカマ然とした男を「根性をたたき直してやる!」と息巻いたところで根性=意識は変えようがないもンね。

それにしても隠れ(?)LGBTが多いことにはビックリするばかりだネ。

よく古代ローマや江戸時代などでは男色がフツーで社会的にも認められていたと聞かされたけど、時代の流行りでしかなかったものと思っていた。

鴎外「ヰタ・セクスアリス」や直哉や有島などの言動が示したホモ的世界も、一時的なものとばかり受け止めていたものだった。

三島が結婚して子供ももうけながらもホモを貫いたということが納得しかねたままなので、自分には三島文学自体が理解しきれないという諦めがある。

それでも最近の中国のLGBT問題を取り上げたテレビ番組や、昔話題になっていたインドのオヤジの女装嗜好を娘から描いた(?)映画とかを思いながら、セクシャリティは昔から固定的ではなかったという認識だけは得られたと自覚している気でいる。

欧米でも隠されていたものが時代の動きの力で顕現したのであって、告白できる状況ではない頃には自分を抑圧するほかなかったという事情が判明してみると、弱者としてのLGBTの苦悩・懊悩が思いやられるように認識・意識の転換がなされるようになってきたナ。

逆に言えば、麻生バカ太郎を始めとする自民党のヤカラなどは、LGBTが不自然で異常だという誤った認識から1歩も出ることができないでいる、という事情がハッキリしてくるというもの。

政治屋たちの意識はイデオロギー化しているだけに変え難いから、暴言だけは慎むようにさせなければならないものの、一般の親が子供からLGBTを告白された時の苦しみは同情してもしきれない。

上記の中国の番組でもその問題をクローズアップしていたけれど、種々日本ほど開けていない国だけに当人たち親子の苦悩は日本より遥かに苦しいだろネ。

もちろん最近のロバート・キャンベルさんを始めとして、日本でも麻生バカ太郎的存在に認識の転換を迫るような動きが加速するとイイのだろうけど、まだまだ抵抗が強いのだろナ、残念ながら。

 

それにしても気になるのは、時代の動きの勢いに押されたままの事態なのか、いったんセクシャリティ意識の誤りに気付いたといって戸籍上の性別を変更したものの、後になって変更以前の性別が本来の自分だったというので再変更しようとしたら、役所に断られたというニュースを聞いて問題の複雑さに圧倒される思いだったネ。

そもそも別のテレビ番組で、LGBTの4種の中のどれが自分に該当するのかそれほどハッキリしないという人もいて、聞いているこちらは混乱するばかりだヨ。

セクシャリティ問題の深さ難しさは計り知れないということだけど、納得できなくても頭で理解できたら麻生バカ太郎のように誤った認識で押し通すのではなく、頭の理解に基づいた言動で通さなければいけないのは当然だネ。

 

もう1つ気になるのは、むかし女子テニスの絶対チャンピョンであり続けたナブラチロワという選手がいたのだけれど、トップになる以前のチェコ(だったと思う)にいた頃の写真はフツーの女子の丸っこい身体だったのが、アメリカで身体改造してからはほぼ男の身体で筋肉隆々になっていたのだナ。

サーブの威力からして男性並みだったけれど、そのうちに「恋人」の存在が明るみになてみたら女性だったのには驚いたものだ。

たぶんホルモン注射のせいなんだろうけど、今どき性転換(手術)に伴ってホルモン注射は必然だろうから、転換する前にホルモン注射だけで何とかならないものかと考えてしまうのは、まだまだ修行が足らないのかな?

性意識(アイデンティティ)はホルモン注射くらいではどうしようもない、といったところなんだろネ。

 

@ 時々覗く程度の番組、Eテレの「又吉直樹のヘウレーカ」を見ながらブログを記し始めたのだけれど、今回は裏番組のNHK歴史秘話ヒストリア」より優先して見てしまった。

というのもボクの大好きなサル(今回はチンパンジーボノボ等)と比較しながら、人間が絵を描くとは? とか写生とは? といった根本問題を探っていて、極めて面白かったから。

抽象画のカンディンスキーの逸話は初耳だったけど、興味深いヨ。

再放送もよくやる番組なので、絶対おススメ!