満州開拓移民の戦後  三里塚  フクシマ  オキナワ

いつもの遅い夕食を摂った後、11時半からのハングル講座最終回(?)を見終ったので、軽い小説でも読もうかと思っていたら、その後の番組が「満州開拓移民・知られざる戦後史」(再放送)というので見ざるべからず。

まず驚いたのは、主に貧困のために大陸に移民して開拓したものの(満州への侵略という側面はここではスルーしておく)、戦後はソ連軍等による暴虐を受けながらも、辛うじて生き残って帰国してみたものの、故郷自体が貧困のために居場所が無いまま、他郷で貧相な土地を開拓せざるをえなかった、という悲惨極まりない生を強いられ続けたという事実。

学生時代に反対運動が盛んだった(今の成田空港建設のために犠牲となった)三里塚・芝山連合の農民たちも、満州開拓民だったという話を聞いて驚いたことがあった。

厳しい満州の生活から無事逃れて帰国した後、せっかく苦労して切り開いた土地を、国の強引な政策の犠牲となって土地を追われたという凄惨な運命。

三里塚の農民たちも悲惨なら、国からそれ以上に凄惨な運命を強いられた人々がいたとは!

それが満州から帰国後、故郷・他郷のフクシマで被曝して再度追われた人々だ。

中には酪農家で、泣く泣く牛を殺して土地を去った人もいて、「国に3度も裏切られた」と語っていたのは同情しきれない。

一方では「原発のお蔭ですごく景気が良かった」という証言もあって、オイシイ思いをさせられて結局悲痛な生活を強いられる点で共通するオキナワの犠牲が想起される。

安倍・自民党政権に従い悲惨は他人に押し付けながら、楽しいオリンピックを始めオイシイ生活に享楽し続ける日本国民は救いようがない! と言わざるとえない。