放送大学「日本政治外交史」  庄司薫  村上春樹への影響  「古事記」と「万葉集」

今、メールのチェックをしながら見始めたのだけれど、4月で放送大学には新しい番組が始まっているようだ。

その中で「日本政治外交史」というのが抜群に面白い(去年始まったのかもしれないけど、見なかったナ)。

五百旗頭(元・防衛学校長だった人の息子かな? 「いおきべ」)と奈良岡という比較的若い政治学者が担当していて、観点がとても新鮮だネ。

今やっているのは第2回だけれど、第1回では2人が全体の見通しを展開していて、とても興味を覚えたので第2回を見ている次第。

放送大学では以前から他にも政治学の番組があって、御厨さんと牧原さんの2人が担当し、聞き書きを重視していたのは面白かった。

切れ味はそれほど鋭くはなかった(特にマジメが取りえの牧原さん)けど楽しく学べたネ、御厨さんの〈軽さ〉のお蔭かな。

もう1つ1人(名前は不明)で高校の授業の延長並みのツマラナイ政治学の番組があったけど、見ていられなかった。

ラジオの政治学は複数で担当していたのがあって、それぞれが庄司薫の小説(芥川賞受賞の「赤頭巾ちゃん気をつけて」以下の3部作)に言及していたのがとても興味深かった。

庄司薫は昨日のブログで名前が出て来た中村紘子の夫でもあるけど、全共闘運動直後の世代の若者の心情を描き続けた作家だ。

熱狂の後のシラケ始めた頃の、若者たちの〈模索〉する姿が痛々しい感じだったナ。

その分ボク等にはもの足りなかったので、「赤頭巾~」もあまり深入りして読まなかったけど、題名に「黒頭巾」や「青髭」、そして今読んでいる最中の「白鳥の歌なんか聞こえない」というように、赤白青黒の4部作という括りなんだネ。

この番組のお蔭で読み始めた「白鳥~」の第5章の末尾に「やれやれ」が出てくるのを始め、全体が「ぼく」の一人称語りの小説ばかりなので、ハルキに影を落としているのは明らか(だけどハルキほどのインパクトある面白さには欠ける)。

 

今年度から始まったのではないので数回は聴いたことがありながら、第1回を聴いたのは初めてだったのがラジオの「古事記万葉集」(金曜かな)が刺戟的だった。

講師の多田一臣さんは院生の頃からの知り合いだけど、古典の専門家ながら三好行雄師に志賀直哉のレポートを提出している姿を目の当たりにしてから、何となくスゴイ人だという印象を受けたものだ(ヘンだけどネ)。

多田さんは間もなく助手になって活躍してから千葉大学に就職し、そこから東大に戻った人で、その実力が気になる存在だったので、ボクが学大に転じてすぐに著書の『大伴家持』を研究室に備えたものの、読む余裕がないまま退職するハメになったまま。

ボクの記憶では中世文学専攻だと思っていたので、家持とは意外で古典の人に聞いたら「何でも幅広くできる人」ということだったので納得したナ。

それにしても「古事記」と「万葉集」を強く関連付けて講義してくれて第1回は、こちらが無知なせいもあるけど、初耳の知識が多くて勉強になった。

以前、秋山虔先生の名を放送中に連呼したのでバカにした島内裕子というオバハンと比べるまでもなく、多田さんの話には切れ味を感じたネ。

島内オバハンは文学以外でもフツーに成功したであろう単なる優等生で、全く切れ味が欠けているか、わざわざ専門外の分野に言及して恥をさらして見っともないナ。

 

 今日のラジオでは「文学批評への招待」の第2回を途中から聴いたら、エリス俊子という講師がテキストにはない朔太郎の「竹」を細かく分析していて楽しめた。

この人、朔太郎の本も出したことがあるのを知らなかっただけなのだけど。

朔太郎といえば、退職後に全集や知り合いの研究書を拝読するのを楽しみにしていたけれど、なかなかそんな余裕を持てないでいる。

テキストにはボクの不案内なモダニスム詩を解説してくれていて教えられるけれど、紙教材と放送番組との内容が異なるのは二重に楽しめるので歓迎だネ。

ハングル講座の浜之上幸というジイサンは、テキストを見なくても話せることまでいちいち見ながらテキストに書いてある通りをしゃべるだけで、能が無いこと甚だしい。

一所懸命に親しみを出そうとしているのは伝わるのだけれど、テキストを手にせず話せば生きた講義ができるはず。

テキストを手にしないと、青山昌文のような愚だ愚だ(グダグダ)になってしまう危険はあるから十分な注意が必要だけどネ。

脳が硬直化して同じ言葉をくり返しているような青山の最悪の講義については、今まで何度もバカにしてきたのでここではくり返さない。