「五重の塔」のマンジュ読み

以前、大井田先生の授業の時にマンジュが発表したという「五重の塔」論を、ヒグラシゼミでナオさんが教えてくれたままブログで紹介したけれど、正確さに欠けていたというメールが来たので訂正します。以下はナオさんのメール。

 

先生のブログで、杏珠さんの読みが紹介されていましたが、帰ってレジュメを確認したら、源太の前近代も十兵衛の近代も、ともに上人の手の中で行動しており、上人頂点の社会構造は変わっていないことが指摘されていました。そのことを明治20年代(自由民権運動が壊滅して、青年たちが自己の〈個〉を持て余さざるを得なくなっていた時代)と接続して論じていたのですが、私が失念していました。失礼しました。

 

なるほどのマンジュ論だけど、ゼミの時に言ったように上人は天皇のような存在であって、実質的な権力は持ってないというのがボクの読み。源太の〈個〉も重兵衛の〈個〉も尊重されるからこそ、マンジュの言うようにそれぞれが己の〈個〉を持て余してしまうのだネ。