【テクストの読み】「山月記」をめぐって〈メイ(vs)イチロー〉その4

このところ出かけることが多くて疲れが残り、とても「山月記論議じゃなかったヨ。

その後にもメイからのコメントがあったけど、必要ならそれも紹介して反論を付すヨ。

 

〈メイより〉

先生、李徴が生きていた玄宗の時代の詩人たち、つまり盛唐の詩人ですが、私もちょっと気になって調べてみたら、やはりこの時期はすごい詩人がたくさん輩出されていたらしいです。(うじゃうじゃは、語弊があったかと思います。ごめんなさい。)

まず、中国詩歌史上でも最高のポジションとされる李白杜甫、それから、王維、孟浩然、高適、王昌齢、あとは名前読めなくてすみません笑笑 まあ、いろいろ出てきたみたいです!

 

李徴が、誰かをイメージして頑張ろうとしてた、杜甫のような詩人を目指して役人を辞したという先生の仮説もありかと思いますが、あのプライドチョモランマ、性狷介な李徴のことですので、「科挙失敗組や商家出身のダサい詩人どもなど、天子様の前で詩作もして科挙ストレート合格の俺様の相手ではないわ」とか思ったろうな、と私なんかは思ってしまいます。

また、今となっては杜甫李白すご〜い!という評価が定着していますが、リアルタイムではこれほどまでだったかどうかわからないからです。

 

@ 「リアルタイムではこれほどまでだったかどうかわからない」にもかかわらず勝手な想像すると、ルー小森のような《恣読》に陥ってしまうヨ。それにしても論点がズレてるナ、李白たちの評価がどれほどだったかは確定できないことだけど、間違いなく評価されていたことが大事なのであり、だからこそ李徴が目差す詩人のイメージを想定しえたのだと思う。無名の李徴が世に認められている杜甫李白を超える可能性を確信してしまうのも、過剰な読みとしてイエロー・カードを提示したいネ。レッド・カードの典型、ルー小森(陽一)の思い付きだけで勝手な想像をバラまく手口を確認して、自制してもらいたいネ。

 

《この頃はまさに、楊貴妃を政略結婚に使った楊家の人々が政治の実権を握ろうと暗躍していた時期であり、そういう世襲的な政治の世界から李徴は離れようとしたということです。(イー君が施した中略)そんな中にあって、かつての同輩ははるか高位に進んでいました。それができたということは、同輩たちは楊貴妃の人脈に取り入るなど、裏の手段をとって出世していたはずです。(同前)このとき、中央から派遣されて地方を回っていた観察御史の袁傪とは、そうした腐敗堕落していた末期の玄宗帝政権のなかで、最も剥き出しの暴力的な部分を担っていた官僚ともいえます。そのような袁傪が果たして「人間的」といえるでしょうか。》(『大人のための国語教科書』2009年、角川書店

 

@  楊貴妃の親族の楊国忠が、楊貴妃のお蔭で大出世して権力を握ったというのは高校世界史で覚えたけど、「世襲的な政治の世界」というと唐(隋)に征服された南朝の貴族の1つが楊家という読みなのかな? 「世襲的な政治」権力を抑えるために実力主義を通すために科挙を重視した唐王朝であったにもかかわらず、「世襲的な政治」権力を握った楊家を重んじたために玄宗帝政権が「腐敗堕落」し、袁傪を始め楊貴妃の人脈に取り入るのが出世の早道だったということになるけど、ルーさんはそこまで考えて(調べて)言っているとも考えにくい。いつものお得意の思い付き放言なの

だろうし、それは《裏の手段をとって出世していたはずです》の「はず」という決めつけ方にもハッキリしている。

調べてあるなら楊家の位置付けを教えてもらいたいくらいのものだ。楊貴妃のことはテクストに記されてないが、冒頭の「天宝の末年」といえば安史の乱の方が想起されやすいだろう。安禄山がソグド人で楊貴妃に気に入られ、一緒に踊ったこともあるようなことをNHKの中国史番組で知って驚いたけど、安禄山が裏切って反乱を起こした結果、楊貴妃も陽国忠も殺されたというのも興味深い。しかし安禄山楊貴妃楊国忠もテクストに現れていないのだから(彼らを読むように誘導されてもいない)、ルーさんのように身勝手な想像をたくましくするのは人心を惑わす犯罪だ。

騙される方もバカには違いないけど、レベルが低すぎるよネ。袁傪は「人間的」と言えるのか?! とルーさんに脅かされると、なるほど「人間的」じゃないですネ、と応えるのかナ? そんなレベルの教員の授業を受けるのは、生徒が可哀そう!

 

〈メイより〉

で、結果は、というと、詩の世界では、李徴さん自分の予測どおりには認められない→また一地方官吏に戻る→かつての朋輩はすでに出世→自尊心傷つきまくり→豊頰は削げて、狂ってしまう。

もし、自分が納得する詩を作れないから狂ったのなら、詩と切り離せない李徴さん、と納得するのですが、

詩人として名があがらない→また役人に戻る→これまで歯牙にもかけなかった連中に使われる、ということで絶望していくんですよね。李徴の詩への執着は、詩に執着して失われた時間に、誰か価値を与えてほしいという願いへの執着のように思われるんですよね。

一生の仕事として詩と生きていくのではなく、名が容易に上がらないから「己の詩業に半ば絶望」(嫁と子も作っちゃってますし)それでまた役人をやって、またプライドに苦しめられてってあたりが、この人にとって、詩って一体なんなんだろうな、全然内面的に変化してないじゃん、と思いまして、

先生の論と考えを異にしてしまうのです…。

 

@ ルーさんを引用した後だと、やっぱりメイの推論(読み)は伝わってくるネ、賛同できないけど。3行目の《自分の納得する詩を作れないから狂った》という読み方は可能だと思う。「己の詩業に半ば絶望」して狂ったということであり、メイの言う通り《全然内面的に変化してない》から狂ったのだと思う。前に記したとおり、李徴のアイデンティティは詩であるから、それに「絶望」したら自己の存立が根本から動揺したということだろう。しかし《詩に執着して失われた時間に、誰か価値を与えて欲しい》などとケチな考え方をしてるのではなく、根本から自己(=詩)が否定された絶望感からの発狂だと思う。

だから決してメイの強調する出世競争に負けて、「自尊心が傷つきまくり」狂ったというのではない、もっと李徴独特の狂い方だろう。「独特」と言ったのは、詩=芸術に賭けた人間の生き様(狂いざま)として読めるということだネ。そこのに作者中島敦の自虐を読もうという気はまるで無いし、作家読みは基本的に拒絶しているヨ。

 

〈メイより〉

いやー、山月記談義楽しいですね!

○○高校非常勤講師時代、60代の国語の非常勤講師仲間の先生と、いっつもこんな感じでおしゃべりしていました。

たまに、談義が終わらなくなり、熱がこもると、神経質そうな数学の講師がやってきて、眼をばちばちまばたきさせながら、「もう、ちょっと、し、し、しずかに、して、くださいッ!!!」と怒られたことを思い出します。

その先生とは、非常勤辞めたあとも、たまに小平のカフェでサシで文学談義していたんですが、先生カフェの中で転んでしまい、杖をつくことになってしまって…。

なんだか、ちょっと連絡してみようかと思いました。

 

@ イイ感じの職場だったネ、メイの人徳もあるのだろうけど。数学の講師はカワイソーだったけど、メイの声量は過剰だからナ。学生時代の夏合宿、懐かしい館山の松善で深夜に別の客から「あんたがた、こちらは眠っているのだからもっと静かにしてくれ!」と怒鳴り込まれたことを思い出すヨ。仕方ねエから皆で酒とツマミを持って桟橋へ移り、暗い中で呑んだナ、懐かしい!