【ヒグラシゼミ】村上春樹「海辺のカフカ」

初参加がコイちゃんと清泉女子大院生の2人、それから学部生2人を含めて総勢12名の盛況。長篇なので読み切れないで不参加の仲間も少なくないであろう中で、この人数は予想を超えていた。実はボクも自著の作業のために十分な時間が割けず、最後の4章ほど再読できないまま臨んだ。

レポーターが眠れなくなるほど集中してレジュメ作りをしたと言う通りの、資料を含めてタップリのレジュメであり発表だった。期待どおり久しぶりの参加のオキヌちゃんがしばらくのあいだ突っ込んでくれたので、最初からいきなり盛り上がった。質問がツボを得ていたので、レジュメを元にした読み方が深まったと思う。

発表が加藤典洋の読み方、「解離」に依拠し過ぎていた印象だったけど、発表者に言わせると加藤説をこそ批判したとのことだった。ハカセ(近藤裕子・東女教員)が切り開いた《臨床文学論》はスゴク面白くて説得力も感じたけれど、ハカセ連合大学院(博士課程)在学中から精神分析の先生について専門知識を養った上でのテクスト分析だから信頼できたけど、加藤などが生半可な付け焼刃で「解離」などと言われると如何なものか、と引いてしまうナ。

それにしても加藤はカフカだけで3本も論文を書いているとのことだけど、それほどの作品なのかな? 確かにあれこれと《読み》を挑発するテクストではあるけれど、そこまでムキになってハルキのワナにハマるのは考え物だと感じたネ。

ともあれレポも強調し、ヒッキ―先生が補足的に解説しつつ同調していた「換喩的」(加藤典洋が使っているとのこと)な書法が(テクストに多用されている暗喩(メタファー)と対比されながら)、ハマっている様相が分かった気になれたのは収穫。

 

キヌちゃんが鋭く突いた1つは語りの問題だけれど、例えば「僕」が時々「君」と呼称が変るのは何故か? ということ。レポーターはこれを「僕」の《分身》である「カラス」が「僕」を呼んだものと解したけど、ボクとしては冒頭にあるように全体が事後的な語りという設定なのだから、現在の「僕」が過去の「僕」に向かって「君」と呼んだものとすれば済むと考えたのだけど、どうかな?

それに「カラス」を《分身》とするのもどうかと思う。《分身》というほど「カラス」は身体性を持っているとも思えないので、単なる「僕」のもう1つの意識と言うべきレベルのものでしかないと考えるのだけど、どうかな?

ボクがハルキを通り一遍にしか読んでないので(「多崎つくる」とかいうのは今年読んだばかりで、「騎士団長」は100円になるのを待っているところ)、代ってヒッキ―先生が的確な助言や補足をしてくれたので、レポを始め参加者にとってとてもためになる解説をしてもらった印象だった。個人的には初読の際にはジョニー・ウォーカーカーネル・サンダースがふざけ過ぎていて作品世界に入っていくにはジャマだったけど、今回はその命名の意味がそれなりに納得できたかな。

4時間の議論がアッという間だったのは、それだけ充実していたということだネ。