【読む】構大樹『宮沢賢治はなぜ教科書に掲載されるのか』(大修館書店)   「雨ニモ負ケズ」は詩とは言えない

 マエタカ(前橋高校)の1年生の時の国語の先生・斎藤孝弍先生がむやみと賢治を神格化していたので(特に「小岩井農場」という詩)、ずっと自分には縁遠い詩人(人間)だと思っていたものだ。不純な自分には相応しくないと思ったせいか、あまり賢治を読まなかったし・賢治に強く打たれた覚えもなかったナ。童話も卒論を審査するためや、教科書教材の候補として読むようになったくらいだったけど、中には訴えてくるものもあったのは確か。

 でも有名な「雨ニモ負ケズ」はイイこと言ってるとは思ったものの、詩(文学)としては高評価はできないとずっと思っていたネ。文学として高く評価していた谷川徹三(俊太郎の父)にはガッカリしたものだ。もっとシッカリした考えのできる人だと思っていたのでネ。だから「雨ニモ負ケズ」を文学として評価する人の、文学的センスは信頼できないナ。

 学大の連合大学院(博士課程)修了生の教育博士・構大樹(かまえたいき)クンが博士論文(指導は一柳廣孝さん)を本にしたものを贈ってくれたので喜んでいる。表題からしてボクの賢治に対する複雑な思いに絡んでいるので楽しみではあるものの、ちょうど『シドクⅡ』の原稿の最終チェックと索引作りに集中しているところなので、拝読しているヒマがない。せめて宣伝だけでもしておこうと考え、ブログに記すことにした。バンセイ君(「たいき」から「ばんせい」と呼んでいるけど、一柳さんのご指導で速成だネ)はヒグラシゼミでも発表してくれたこともあるので、ご存知の人もいると思う。

 バンセイ君が「雨ニモ負ケズ」をどう評価しているのか、とても気になるものの、実際に読むのはゼミ部の他の仲間の方が先になりそう。バンセイらしく充実した賢治論ながら、2200円という安価だから入手もしやすいヨ。