院生の消息、泣き笑い

 近代ゼミの卒業生たちの消息不明に続き、院修了生(や中途退学者)の消息がまた一段とオモシロイとつくづく感じているヨ。

 恩師のご家族と毎年旅をしているけど、むかし東北の平泉に行った際に、一ノ関に帰っていたアイちゃん(澤野)に予め連絡しておいて平泉から電話したけど、あいにく交信できなかった。連絡を取り合っていきたい子だったけどネ。タマチン(飯田)は一時期落ち込んでいたので釣り部に参加し続けてもらったら、その後は回復して今は九州の五島列島で教育者として活躍しているはず。

 これも担任していて気がするけど、明治ゼミ員だったコワカはずっと連絡があり、岡山の山陽新聞社に就職したらボクの親しい大学同級生の部下になったというので、ボクのみならずその同級生もビックリしていたネ。その男は5・6年前に病死してしまったのは残念至極。

 留学生では学大で博士号をとった台湾の張さん(国語教育専攻)が、5年前の集いに来てくれたのは驚いたけど、同じ台湾の鄒佳蓉さんは別の機会に九州に来たついでに東京まで会いに来てくれてナ。花見の頃だったので、サカポコを誘って隅田川の花見をしてから鄒さんに会って、ボクの姪っ子だと紹介したら信じた模様。その後は鄒さんと2人で寿司屋で積もる話を楽しんだネ。部活で食べてもらっているマンゴーも、台湾の林淑妙さんが毎年送ってくれているモノだヨ。

 以上の台湾の院修了生は皆女性だけど、中退した男は後で聞いたらタイヘンだった。在学中に国立の自宅まで書類を持ってきて書いてくれというので、何も大学に行った時に頼めばいいのにと思ったものだ。台湾に帰国した後、同級生の女性が遊びに行ったら、彼の特殊な趣味にボクが合致していたのだという。あいにくボクにはその種の趣味がないので、後から聞いてゾッとしたヨ、自宅に来た時はジャミラがいなくてボク独りだったからネ。

 

 中央大で博士号をとって(ボクも審査員の1人)韓国に帰ったファンファン(黄珍)が、数年前に非常勤先の大学へ講演に来るように誘ってくれた時は、院終了後に助手になったメイ(神村)も学会発表に誘ってもらい、お蔭でメイに案内されて韓国に行くことができた。韓国で日本語教員をやっていたエイショウ君も合流して、夜は4人で呑みながら盛り上がったものだ(それにしても韓国は安かった!)。エイショウ君は帰国して奇跡的に大学に就職できたものの、ブラック大学で死ぬ思いで働いているとのこと。

 女でいながら男のような口をきく中国のアスカ(馮)は何と精華大学に就職できて驚いたけど、しじゅう日本に来ていると言っていたネ。いろいろ便宜を図ってやっているけど、いつ会っても男のイメージが抜けないネ。中国人では半年間だったか研究室で修論の準備をしていた隋娟(女性)が、去年だったか北海道の(専門学校の?)中国語教員として来日して、ボク等2人をしる女子大教員と一緒に中野の第二力酒蔵で呑んだヨ。また上京する機会があれば、また3人で呑む約束をしているヨ。