【『シドクⅡ』の反響】

 出版記念会などの返信ハガキが届くのが毎日の楽しみだったけど、それが終った淋しさを『シドクⅡ』に対する感想が埋めてくれている。

 先ずは後書きに登場する故・木邨雅文(彼との3週間テント旅行は、当日の「イチローの生涯」に並べた写真に入れた)の寡婦(彼女の名も「啓子」だったので笑えた)から、《今日、本が届きました。すぐ主人に見せました。》とのハガキがきて、嬉しいこと限りなし。アイツ(木邨)があの世で読んで楽しんでくれれば何より。教養部時代、文学でも美術でもアイツが教えてくれたもので、お互い定年なったら学生時代のように一緒に美術館めぐりをするのが楽しみだったのに、定年後の検査入院で突然亡くなってしまい、悔しいかぎり。

 1冊目の小林秀雄論に出てくるブーバーの「我と汝」を読んだのも彼に勧められたからであり、早くも60年代末に国貞(国芳だったか?)を観に連れて行ってくれたのも彼だった。恥ずかしいのはその頃から読めと言われたホイジンガ「中世の秋」が、未だに放置されたままであること。出版の事後処理が済んだら、早速読み始めたいネ、三島由紀夫も絶賛していた名著だし。

 

 拙著をお贈りした人々から礼状が続々届いているのは、すぐ礼状を書けば読まなくても済むからで、ボクもこの手を使うことが多い。その手のものは弾いた上で、感想めいたものを記していただいたものを抜き出して並べておきたい(匿名)。

 《湧き立つ(・・当方の胸が・・)ような文体》

 《縦横無尽の筆力には圧倒される想いです》

 《御文が、太宰がのりうつったような名文です。(略)活字が血潮に溶けこんで(略)造本も素敵です。》

 《いつもながら既成の研究史にこだわらぬ独創のご論、感服いたしております。》

 《「同一化」という概念は、日本の近代小説に適用するのに有効なアイデアと感服しました。「火宅の人」論や「近代能楽集」論などの分析も冴えを見せておられると拝察しました。》

 《三島のみならず三好さんへのオマージュに充ちた論と拝見、羨ましいことです。》

 《(太宰と志賀の)異なりよりもむしろ〈共通点〉の指摘を面白く感じた(略)「人間失格」が「男」に恐怖しているとう見方も今後の課題となりました。》

 

 苦笑が洩れたのは、安吾研究者で学界の先頭集団に位置している実力者の手紙。

《私など関谷さんから見れば「他人のフンドシ」で、相撲にもならないことを続けてきただけですが。(略)そんな中で細部を読む楽しさを忘れてきたようです。(略)どうせ「◎◎の言ってることなんてダメだよ」と言われるだけですが。》

 たぶん彼が院生の頃から畏敬していた研究者から、笑いを取るためでもなさそうな卑屈な物言いをされて、可笑しくてしかたないヨ。

 今のところ、最も切れ味の良い評言をいただいたのは、講演で紹介した『現代文学』の主要同人だった元立教大教授朝比奈誼(よしみ)さんのメール、仏文研究者の域を超えた〈読み〉の深さは驚くべし。

 

 関谷 一郎さま

ご高著「太宰・安吾に檀・三島」、有難う。貴君が「同一化」にきびしく

目を光らせているのに感銘を受けました。そして「二重性」とか「他の

視点」とかを持ち出して、読みが固定化することを防ごうとしている、そ

こからは「国文学」の世界の窮屈さがにじみ出てくるように思いました。

◎◎さんというのは、どうみても「国文学」の人ではなかった!

プルタルコス的な列伝法は、太宰と安吾のところで見事に成功していると

思いました。組合せが奇抜なようで、いかにも当を得ている。「安吾や小林

には国家を対象化して捉える観点が欠落している」という指摘は、我が意を

得たと思いました。天皇即位や東京五輪などをめぐる日本人の動き方にはそ

の傾向が見え、すくなくとも一部の政治家がそれを利用している、その怖さ

があらためて浮き彫りになった感じです。

面白い本、読むことの楽しさを感じさせる本、こころからお礼を申します。

                          朝比奈 誼