【学会】3学会合同国際研究集会  神村和美さんの発表  「文学理論の用語」シンポジウム

 24日の神村和美さんの鶴田知也「ペンケル物語」論を聴いたヨ、面白かった。3学会の中の日本社会文学会の人たちが中心らしく、当初はテクストの外側(現実世界)への言及が続いて困ったナと思っていたら、後半になると「言葉への懐疑・不信」というテーマの沿ったテクスト解釈が出てきて刺激的な発表だった。プロ文系の作品・作家には馴染みが薄いので、作家名も「欣也」かと勘違いしていたくらいだから「ペンケル物語」も初めて読んだので、発表を聴くまではまったくテクストに切り込むことができなかった。1度通読しただけなので、神村説については機会を改めて詳述できればと思う。

 花田清輝のシンポジウムを聴くという木村仁志クンと会場で話しをしていたら、竹内栄美子さんが忙しそうに委員たちに指示を与えていたので挨拶だけさせてもらったけど、かつて近代・昭和の学会でそれなりに働いた老人としては参加するだけのご奉公でかまわないだろ、と己れを許すことができたネ。

 

 午後は副題「『日本の文学理論 アンソロジー』の英訳作業に見え隠れするもの」というシンポジウムを覗きに行ったら、まだ誰もいないのにミハル先生(中村三春さん)がいたのでチョッと驚き。むかし山﨑正純さんから「比較文学会に入りませんか? 中村さんと私しか入会してませんが。」と誘われて冗談としてスルーしたけど、ミハル先生は確かにこの種の議論に関心が強いのだと納得。「授業でミハル先生の名前が出て来るたびに、ボクが《ミハルちゃんはスゴイよ》と言うので学生が中村三春を可愛い女の子だと思ってるヨ。」と告げたら、ミハル先生は喜んでくれて「その呼び方を続けてくれ」と言ったヨ。

 シンポ最初のイリナ・ホイカさんの発表を途中から聴いたけど、英語の資料はともあれ日本語の資料は抜群に面白くて参考になった。というのもちょうど『シドクⅡ』後の課題が日本語の特異性であり、その問題意識はさかのぼると巻頭論文につながる『宇大論究』に載せた雑文、「漱石の話法について」の元となった学会発表の題が「漱石に描写は可能か?」だったンだネ。イリナさんの資料には田山花袋の「描写論」その他からの引用がたくさん出てきたので、バッチリ参考・刺激になり聴いて良かったナ。とはいえ続く2本の発表も議論もあまり参考にならなかったので(特に司会の大浦康介氏は例のジコチュウ発言ばかりで時間の無駄)、間もなく退出。でも有意義な半日だったヨ。