【読む】俳句の話題(続き) 宮腰賢  小町谷照彦  滝井孝作  坪内稔典  鷲田清一  オ○○コ

 宮腰先生がいかに俳句通かというところを紹介します。専門の日本語学の領域でも種々ご教示いただいていますが、お好きな俳句の話題になると趣味の範囲を超えた「読み巧者」(『シドクⅡ』後書き)ぶりで圧倒されます。

 次は9月にいただいたメールです。ボクが前夜呑んで八王子まで乗り過ごした話題から始まっていますが、故・小町谷照彦先生は学大名誉教授であり、奥様が確か滝井孝作(「無限抱擁」の作家)の娘さんだったと記憶します。それにしても俳句の話になると深~い。

 

関谷一郎

  八王子まで乗り越されたとのことで、突如、小町谷照彦先生を思い出し、その縁で、滝井孝作の〈ぼくぼくと木わだかまる牡丹哉〉を思い出しました。この句、ほとんど話題にされることもないけれど、わたしには、このことば遊びがたまらなくおもしろい。

お気づきのように、この句は、五七五の頭をボボボにしています。〈ボくぼくとボくわだかまるボたんかな〉というのです。上五の「ぼくぼく」は素朴の「朴」と読まれようと、「木々」と読まれようと構わない。

 孝作氏の頭には、芭蕉の名吟〈馬ぼくぼく我をゑ(絵)に見る夏野哉〉があります。芭蕉を背に乗せてのんびりと夏野を行く馬の足音を写した「ぼくぼく」です。この「ぼくぼく」を「朴々」「木々」にし、「夏野」を夏の花の「牡丹」に置き換えた。しかも、この豪華な牡丹の花には目もくれずその幹を見つめる。

 ところで、芭蕉の「ぼくぼく」は、北村季吟の〈一僕とぼくぼくありく花見哉〉の「ぼくぼく」を受けたものです。季吟は松永貞徳直門の俳諧宗匠でしたから、「一僕」の「ぼく」からのんびりと歩きまわるオノマトペ「ぼくぼく」を引き出している。多分、日本で初めてこのオノマトペを使ってみせたのではありませんか。

 芭蕉は、季吟の「ぼくぼく」を活かして、地べたを下僕と歩き回る「花見」ではなく、馬上の「夏野」を行く「我」にして見せた。

 以上、1月11日と1の三並びの日の孤老のおしゃべりです。お粗末さま。

 そうそう、「ぼぼ」というのは、稔典の〈たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ〉の「ぽぽ」に同じで、女性器のこと。(以上)

 

 ぼくぼくと木わだかまる牡丹哉    滝井孝作

 孝作は私小説作家として有名ですが、俳人としても高く評価されていたという知識はあったけど、実際の句は初めて見ました。「木」を「き」と読むと字足らずなので何と読んで良いのか迷いますが、「ぼく」と読めば「ボタン」の「ぼ」にも通じて《五七五の頭をぼぼぼにしてい》ることが分かります。その後に続く蘊蓄(うんちく)は飛ばしますが、現代俳人坪内稔典の「たんぽぽ」の「ぽぽ」が「ぼぼ」と同じくオマンコだというのは言われてビックリ! オマンコと記したのは、宮腰先生は朝一の授業から下ネタ満載の授業をしたそうで、女性器の方言をたくさん教えてくれたそうだからです。 

 ボクの研究室の「伝説の男」であるファック君が宮腰先生の質問に、「関西ではオメコ・九州ではボボと言います。」と応えたら、先生にエラク褒められたと威張っていたのを思い出します。先般の出版記念会に来てくれた筧恵さん(旧姓は伏す)が在学中に、《私の故郷の山形では、「こっちへ来い」という意味で「オマン・コ!」と言います。》と教えてくれたのも想起されます。(失礼! 話が逸れすぎました。)

 朝日新聞の12月6日の「折々のことば」(鷲田清一)は、驚くことにこの稔典の句でした。

 たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ

 マジメな哲学者である鷲田さんの解説は、《「ぽぽのあたり」ってどのあたり? 後頭部とかお尻のあたり?》から始まって《ちなみに「ぽぽ」はドイツの俗語ではお尻のこと。》で終っています。《続篇として「たんぽぽのぽぽのその後は知りません」という句も。》とも付していますが、マジメ過ぎてツマラナイでしょ。やっぱり「ぽぽ」は女性器でなくちゃ!!!