佐藤春夫「美しき町」

今年度秋学期の最後の授業の発表は、センさんの「美しき町」論。
2年生のおテイちゃんほどヒドクはないけど、今回発表のおセンちゃんもなかなかタイヘンな人で心配。
12月のうちからこの作品では画期的な論文・疋田雅昭氏の学芸大学会講演レジュメを渡しておいたものの、「読んでない」と言ってみたり「読んだけど忘れてきた」と言ってみたりで、言うことが不安定。
佐藤春夫の専門家である海老原由香氏の作品論の情報もメールで報せておいたものの、前言のくり返しでいったい読んだのかどうかがまったく覚束ない。
法政大学の図書館は、日本文学に関する資料が充実しているから国会図書館などへ行く必要がないとくり返し伝えてあるにもかかわらず、センちゃんは国会近くに住んでいるからふだんは国会図書館で十分だと言う。
そんな無駄な話(時間もコピー代も)はないヨと言って、グッチ君やオスギ君たちが法政大図書館の利便性を説いていると、法政大の図書館は行ったことがないと白状したり、実は住んでいるのは法政大学の近くでもあると言ってみたり、まるでオオカミ女(ウソつき女)で笑ってしまったヨ。
笑えるだけおテイちゃんよりはずっとマシだけどネ。


レジュメも相変わらず問題だらけだけど、意欲はあるので修論を書き上げる可能性は残されている。
以下、センさんのみならず留学生が陥りやすい間違いを指摘しておきたい。
先ずは「あらすじ」が不要、春学期にも伝えたはずだけどナ。
「語り手」を「作者」と記してしまったり、テクスト中の「私」なのでカギ括弧を付けて「私」とあるべきなのに、括弧なしに私と表記してしまうとレジュメ(論文)の書き手であるセンさんを指してしまうので要注意!
これも春学期に発表した時に注意を受けた改善すべき点、《先行研究と自身の考え方(論)をハッキリ区別すること!》が十分守られていない。
センさんのまとめ方だと、先行研究(2本しか上げられていない)の信時哲郎という人は、「たそかれ」を知らずに朝夕とも「かはたれ」と言うものと勘違いしているように思われてしまうが、幸いスマホで読めたのでグッチ君が信時氏の誤解ではないことが判明。
大事な知識として覚えておいてもらいたいので板書したけれど、「かはたれ(彼は誰?)」は朝で「たそかれ(誰そ彼?)」は夕方における明暗定かならぬあいまいな時間帯を表す語で、別の言葉では「朝まずめ」「夕まずめ」とも言うので覚えておいてもらいたい。
信時論に乗りながら(?)、センさんは「この二つの時間に象徴的な意義」を読み取ったと言うのはまだ理解できるし、その明暗のあいまいさと《伝聞体》というテクストが生み出すあいまいさが相通じる(とボクがまとめた)という読み方は面白いけど、それがオリジナルと言えるなら素晴らしい。
ただし出典を明らかにしないまま「夢を築く人々」(某社の推理短篇小説集シリーズの佐藤春夫集の副題と判明)という言葉を流用しながら《「美しき町」計画そのもの、この小説の虚無的思想を暗示している》と断言してみたり、《中州という場所も虚無的な雰囲気に満ちる》と言い切るのは無理があるし、作品を誤解のもと、「虚無思想」と言うとニヒリズムに短絡されやすいからだけれど、この作品をニヒリズムで理解するのは誤解だろうから。