【読む・ヒグラシゼミ】村田沙耶香「コンビニ人間」は世界文学(小野正嗣)  「生命式」  尾崎翠

 今週末はヒグラシで村田沙耶香の「孵化」を発表してもらうことになっているけど、「コンビニ人間」と比べるまでもなく面白い作品とは言えないレベルのもの。発表者のサトマン君がどんな風に料理するか楽しみながらも、ホンネは「コンビニ人間」をとり上げたかったであろうサトマン君の気持を思うと、長めながらも参加者各自に「コンビニ人間」を用意してもらうべきだったともハンセイすること頻(しき)り。

 この作品が収録されている単行本『生命式』をゲットして巻頭の「生命式」 も読んだけれど、葬式の代りに遺体を関係者が食べることで供養するという、ぶっ飛んだ発想に腰が引けっ放しで作品世界に入っていけない。というより、村田沙耶香に対する関心が急に冷めてしまったヨ。『生命式』収録の他の作品にも挑戦したけれど、つまらなくて途中で放棄したままだ。ヘイカが推薦してくれた長篇「消滅世界」も『生命式』以前に手に入れて読み始めていたものの、冒頭から10ページほど読んだままで続けて読もうという気になれていない。

 マイナス面ばかり記して皆さんの気持を萎(な)えさせようというわけではない。プラスの要因として「コンビニ人間」は世界文学になっているという記事を紹介しておきたい。1月29日『朝日新聞』の文芸時評で、小野正嗣さんはイギリスでもアメリカでも「コンビニ人間」が話題になり、スゴイ勢いで英訳本が売れていると報告している。『生命式』については《面白くて笑えるが背筋も凍る》とはコメントしているけどネ。

 《「コンビニ人間」という「全体」を円滑に機能させる「部品」として生きることに安らぎを見出し、コンビニ的な規範にとことん同化する主人公の姿に、グローバル化した現代世界に生きる誰もが、文化的な差異を超えて〈私〉の姿を認めることができるからだろう。僕たちの誰もが「コンビニ人間」だ。》

 小野さんの時評は実に的確で、村田作品の理解に大いに役立つだろう。

 

 それにしても小野さんも「背筋が凍る」という、「生命式」の世界に入って行けないという感覚が、むかし流行った尾崎翠の世界に馴染めなかった感覚に通じているような気がしている。代表作の「第七官界彷徨」で肥やしを煮る臭気など、語りから臭って来る感じで嫌いな作家の1人だったナ。それでもゼミや演習、卒論・修論では学生と付き合ったけどネ。