【ヒグラシゼミ】村田沙耶香「孵化」  (カトリーヌ・)マラブー  浅野智彦

 「コンビニ人間」にぶったまげた人間からすると、「孵化」は一読してショーモナイ作品だと思ったけど、サトマン君のレジュメはたっぷりと論が展開されて感心したし、それに基づく議論がまたとても盛り上がったので聴き甲斐があったネ。トミー君のハイレベルな突っ込みを始め、参加者の質問・意見が多く出て十分に楽しめたヨ。トミー君が突っ込んだのを契機に論点になったマラブーを援用した箇所は、ボクも説得力を感じなかった点だったけど、議論をくり返した末に引き下げることになったのは、論としての整合性のためになると思う。もちろん再検討の結果として、援用することになっても構わないのだけどネ。

 若い頃には世界を認識することに強い関心を抱き、新しい理論に惹かれるのは当然の成り行きだから、サトマン君がマラブーを使ってみようとした蛮勇は、その後のサトマン君の進展につながると思う。学生時代に周囲の学生たちを捕えていたマルクス主義を始め、その後もすべての理論・思想に囚われることがなかった(敬して遠ざけた)ボクのマネをされても困るしネ。己れを賭けるほどの思想として信頼できなくても、読むための理論として利用できればそれで良いわけだから、マラブーが読みにハマっているかどうかをチェックする、能力と自制心を備えることが肝心ということになるかな。

 マラブーもその範疇なのかは定かではないけど、トミー君が「新唯物論」という言葉を使っていたけど、最近雑誌で見かけた言葉だったのでトミー君とヒッキ―先生に説明してもらった。唯物論と言えば、まさにボクの学生時代に一世を風靡した言葉でもあるので、先祖返りというか歴史はくり返すというか、世に新しきもの無し(世界に全く新しい思想など現れない)という感慨だったネ。ボケ老人の不感症なンだろけど。

 

 それにしても発表を聴いたり・ヒッキ―先生の補足を聴くかぎり、村田沙耶香についての論も意外にたくさん書かれているようで興味深いネ。つい最近でも新聞記事に、村田沙耶香の文章を褒めつつ、それなりに論理も具わっているという評価を読んで嬉しくなったものだ(「孵化」の文章は雑でイタダケナイけど)。チョッと前のブログに「生命式」の人肉食を読んでウンザリしたと記したけど、朝日新聞の書評(2月1日)に取り上げられたレヴィ=ストロース『われらみな食人種(カニバル)』には次ぎのように断言されていた。

 《親族の遺体を食べることで愛情と敬意を示すニューギニア山岳地域の慣習を未開だと感じる「われら」もまた食人種なのだという。》

 というのも、移植などの先端医療技術・牛の飼料に牛骨を混ぜて食べさせる畜産業なども食人種に他ならないからだという論理だ。ナルホドだけど「生命式」には再読を誘うテクストの力は無いネ。

 

 レジュメには浅野智彦『自己への物語的接近 家族療法から社会学へ』という本からも援用されていて興味を覚えた。物語の3つの特徴が紹介されていた点なんだけど、浅野さんという名前から学大の教員を思わせたので尋ねたら、その浅野先生だったので驚いたネ。学大の社会科には以前批判した上野和彦や藤井健志など、人間としてショーモナイ連中もいたけれど、浅野さんは真っ当な人だという印象だったから読んでみたくなったネ。