ナベツネのインタビュー(続き)  東京学芸大学(学長)  外川先生(漢文学)

 山村工作隊と言えば、ボクと同時期に学大に赴任した外川先生(漢文学)が若き日に隊員だったと伺った時も、腰が抜けるほど驚いたネ。東大を定年退職(60歳)して63歳定年の学大に赴任した外川先生は、東大文学部で学部長も務めたエライ先生で、わが師・三好行雄が嫌々(たぶん)学部長を引き受けていた頃にブレーンとして支えたことも、ご本人から伺ったこともある。当時は学生だったので、戸川先生の存在を知らなかったけど、三好夫人からも外川先生には大変お世話になった旨を伺ったこともある。

 ボクの学大時代には5人の学長が務めていたけれど、ワッシーとデグちゃんとは親しかったものの、蓮見音彦と村松泰子に対しては批判し闘ったのだナ。事件当時にブログに書いたとおり、蓮見学長が非常勤講師として他大学で勤めていた教員を、無届けを理由に処分しようとした際に、ボクと他の2・3の教員が全体教授会(4つの学系全部)で反対意見を言って学長案を否決したのだネ。教授会から研究室に戻る道で、戸川先生が傍にいらっしゃって、「関谷さんの言うとおり厳重注意程度で済ましておけば良いのに、大げさな処分をするのはおかしい」と言ってくれた時は力づけられたネ。

 その時に人文の学系長(普通の大学の学部長に当る)だった故・小池正胤先生(『シドクⅡ』の前書き参照)が、「私は執行部として学長案に賛成するように強いられて困っていたから、あなたの意見がありがたかったものの、あなたの着ているそのピンクのカーディガンは何ですか?!」と叱られてのを忘れない。こんな調子で困ったオヤジだったものの、オヤジには頭が上がらなかったから黙っていたヨ。

 

 また話がそれたけれど、温厚な外川先生が共産党山村工作隊に属していたとは、全然イメージに合わないのでビックリしたわけだネ。若い頃の外川先生も「熱い」人だったのを知って嬉しかったけど、武力革命を目差すのは当時の共産党の正式な路線だから仕方なかった面もあったかもネ。この武力革命方針が否定されたのが有名な「六全協」であり、柴田翔「されど我らが日々」などの小説でも重要な歴史の事実だネ。ナベツネが訪れた山村工作隊に外川先生が属していたか否かは、戸川先生だけにしか分からないことかな。

 それにしても保守反動の極悪人だと思っていたナベツネが、戦後に共産党を支持していた時期があったとはネ。90歳超の今でも読売新聞の主席に居座り、数年前に安倍晋三に紙面数ページを提供して所信を載せるなど、白昼堂々たる悪事を敢行しているのだから、早くクタバッてもらいたいのだけどネ。長尺の番組だったものの、続きがあるようだから、今回の再放送も含めて見ることをおススメします。汚らわしいと反発する気持は十分に理解できるけれど、種々興味深いし見る価値はあるネ。

 

(まだ書き残している気持なのだけれど、長くなったのでいったん切るネ。)