【ヒグラシゼミ】乱歩「地獄風景」論の発表  論文博士号取得のハードルの格差

 2月29日のクリマン君の乱歩論は、あまりにもひどいテクストながらレジュメの章題「一 〈形式化〉された「探偵小説」」「二 自己言及の戯れ」「三 地震以上の地獄風景」「四 もうひとつの結末」にも見て取れるように、実に豊かな内実だったので、いつもながら教えられ・驚くばかりでだったネ。探偵・推理小説に関しては全くの無関心・無知ながらも、こんなテクストで論が立てられるクリマン君に毎回脱帽をくり返している。柄谷行人・菅本康之(懐かしい!)・東浩紀などを援用しながらの論の展開だったけど、一部無理を感じた点もありつつも興味深く聴けたネ。不明な点はヒッキ―先生の補足もあって面白い発表だったけど、ヒッキ―先生がそんなにヒドイ作品ではないという評価には賛同できなかったな。ヒッキ―先生は前回の村田沙耶香「孵化」でも同じ評価を下していたけど、作品評価の見地ではだいぶ差異を感じているヨ。乱歩の作品は戦前だから、ボクの時代遅れが原因というわけではないよネ。確かにケイタイの類を持ったことないなど、時代の流れに背を向けた結果になっているけどネ。

 いずれ論文化されるはずだから詳しい内容には触れることができないけど、毎回これだけの論を展開できる(論文の実績もたくさん見てるし)クリマン君がまだ博士号を取得できてないと聞き、立教の論文博士のハードルの高さを知ったネ。一橋大では課程博士号のハードルも高いので驚いたことがあるけど、学大の論文博士号のハードルが低すぎるのは確かだネ。

 ハカセ(東女の近藤裕子先生)が入学金や授業料を払って学大の博士課程に入学して数年後に博士号を取得した頃、理科教育で若い高校教員が論文博士号を取得したので研究科委員会などで疑問を呈したことがあったヨ。既に研究も教育も実績のあるハカセが、わざわざカネと時間をかけたのがバカバカしくなるような理系のハードルの低さには、学大の博士号の価値を低くするものだと今でも思い出すとハラが立つネ。国語科ではだいぶ御年の教員が論文博士号を取得する例が多いかな。

 学大国語の課程博士号取得者の中にはクリマン君に遠く及ばないほどなのに、立教大の論文博士号のハードルは高過ぎる印象は拭えないネ。