【見る】「三島由紀夫 VS 東大全共闘」その2  芥正彦  木村修  内田樹

 なんだかこの映画の話題がブームのようで、今日の朝日新聞は1面を使って紹介しながら宣伝していたし、テレビではTBSの「爆報THEフライデー」という初めて見る番組でも取り上げていた。後者では又吉直樹太田光が映画を観た後に感想を述べあっていたけれど、まんざら外れたことばかり言っていたわけでもないと思った。むしろナレーションの方がけっこう間違いだらけの印象だったネ。映画の一部を流していて、前回紹介した小阪修平の若き日の姿が三島の隣りにいるのが見られたけれど、饒舌だったイメージとは異なり引いていた感じだったネ。というのも当時から演劇で活躍していた、芥正彦がひたすら目立っていたからだろうけど、小阪が壇上にいたということは、ボク等のグループが企画にからんでいたと言えるようだ。

 芥正彦という男は、『三島由紀夫vs東大全共闘 1969-2000』(藤原書店)の「あとがき」で自ら明かしているように、《私のような正式には全共闘とはいえぬ者》なのに何故あの場にシャシャリ出たのかはよく分からない。企画の段階で、三島に対処するための「助っ人」として呼ぶことになったのではないか、と察しているけどネ。じじつ「時間と空間」をめぐって三島と抽象的な議論で渡り合っている。記憶に間違いなければ、駒場にあったオシャレな喫茶店「ZIZI」(チンポコの意の仏語)も舞台の一部として使いながら、寺山修司ばりの都市空間を舞台にした前衛演劇をやっているのを見かけたことがあり、それが芥の作・演出だったのではないだろうか。

 

 その頃は芥の顔も知らなかったけど、演劇に打ち込んでいただろうから、闘争の現場では全然見かけたことは無かったと思う。三島との対決の場に呼んだのは小阪であったのか、あるいは三島に電話で参加を依頼した木村修という人だったのか、その点はどうでもいいかな。むしろこの木村修という人が気になるのは(なぜか顔は分かっていたのだけれど、どこで知ったのか不明)、ボクが大学3年目の途中から小田急線生田に引っ越したら、近所に学生にヤサシイ(にぎりも大き目で値段も安い)菊寿司という店があり、親しくなったオヤジから「この間、木村が来ていたゾ」と言われたことがあったからだ。オヤジからすれば、木村もボクも東大生だと知ったので、ボク等も知り合いと勘違いしたらしいのだけれど、実は全然親しい関係ではなかった(たぶん木村氏はボクの存在を認知してなかっと思う)。

 3年目ながらも、進学試験を拒絶したためにクラスの仲間9人と留年したから1年生として2年下の学年に落とされ、落ちたクラスにいたのが内田樹だったのだネ(『シドクⅡ』の前書き参照)。前回の【見る】には内田樹の名前だけ記しておきながらも、内田のことを書けないまま終わったので、ここで言わないとネ。先月内田のクラスの仲間と呑んだ後日、内田とメールのやり取りがあって、彼がこの映画にコメンテーターのように参加していると教えてくれた。今日の新聞の宣伝欄を見ると、確かに出演者の中に内田の名がみえるし、綾戸知恵さんが映画の感想の一部として、《内田樹さんが映画の中で語っているように、三島さんは「日本人を無意識に突き動かすエネルギーを集約したものの象徴として天皇と表現している」だけ。》と語っている。さすがに内田らしく当らずと言えど遠からぬ理解を示していると思う。

 などとエラそうに言うのも、『シドクⅡ』の巻末論文の「金閣寺」論は内田たちのクラスにいた頃に書いたもので、三島由紀夫については当時からいささか独自な捉え方をしている自信からだネ。20代そこそこで書いたものながら未だに古びない論考で、三島研究の専門家からも『シドクⅡ』の読者からも評価されているので、一読していただいものだ。

 

@ 長くなったのに、まだ書くことが有りそうなので、機会を改めて続けるつもり。