【読む】①「木下杢太郎『食後の唄』注釈・作品論」  ②石井正己『現代に共鳴する昔話 異類婚・教科書・アジア』 ③『繍』第31号

 このところ【読む】欄の更新が途絶えているけれど、読書ができていないわけではない。事実ゼミのテキスト以外にも望月哲男訳『戦争と平和 1』(光文社古典新訳文庫)は(我ながら珍しく)読み切ったし、ハルキの「スプートニクの恋人」も読み終わっている。後者は津久井秀一クンが執筆中の論文のためで、引き続き「ダンス・ダンス・ダンス」を読み始めているし、ヒッキ―先生の論を読むために多和田葉子犬婿入り」を、呉順瑛さんの論を読むために山本昌代の作品集『ウィスキーボンボン』を読み始めたところだ(その他、途中まで読んでいる本は放置しあままだけどネ)。呉さんの論は『学芸国語国文学』のボク等の退職記念号に寄せてくれた論でだけど、作品自体は『臨床文学論』のハカセ(近藤裕子さん)の影響だったか、その頃すでに読んであったもの。

 そう言えばこの記念誌掲載の論文も、先般2・3度途中で放置したままの土屋佳彦クンの論をやっと読破したし(拙著出版がらみで集中できなかったからだネ)、馴染みが無いので難解な黒坂みちるさん(ミチル姉さん)の北園克衛論も何とか読んで感想を送ったヨ。そもそもこの記念誌は、山田有策さんが過剰にヨイショして褒めてくれたり、大井田義彰さんが誤解したまま記しているので、手に取りにくい雑誌なんだネ。大井田さんの誤解とは、ボクがジーパンで颯爽として授業に臨んだと書いてるけど、ボクはジーパンで授業に出たことはないのだネ。研究室で演習授業をやる時には、あるいは1・2度ジーパンだった時があったかも、学生には上半身しか見えないからネ。

 ボクの意識では、ジーパンは遊ぶ時のズボンなので授業時には履かないのだネ。授業が無い時はジーパンにえんじ色のジャンパー姿で研究室にいることもあって、隣りの大井田さんにはそういう姿が刷り込まれていたのかも。事実、大井田研の学生がボクの部屋に入ってくるなり、ボクの姿を見て「ラフ~!」と驚いていたこともあったヨ。

 

 前振りが長くなったけど、目的の落掌した近著の紹介ネ。

① は5センチほどの厚さの大著、笠間書院出版。有光隆司・小林幸夫・林廣親・松村知視というそうそうたるツワモノ共が、20年超かけて完成させたもの。途中で何度も冊子をいただいたけれど、杢太郎など全然関心がないから、この人たち何やってンだ?

という思いをくり返したきたので、改めてまとまったものを覗けば納得できるだろうと思っている。それにしても20年超の熱情ってスゴイね、注釈の模範にもなるヨ。

② は柳田国男のイシイと言える御仁が、柳田以外でも守備範囲の広さを見せたもの。目次を見てすぐに井上ひさし「父と暮らせば」論を見つけて拝読したけど、石井さんの文学的センスの良さも読みとれて感心したネ。のみならず文学研究者には及ばない視野の広さも出ていて、作品に出てくる民話にも触れることができる民俗学者としての面も発揮されている。この作品論だけで40ページも費やされているのだから、充実ぶりが分かるというもの。

③ はご存知、早稲田の院生の研究機関誌。意外にオーソドックスな作家たちが論じられているので、個人的には馴染みやすいのが嬉しい。上記のボクの記念号に寄せてくれた論考には、町田康山本昌代村上春樹赤坂真理伊坂幸太郎などというボクには親しみが薄い現代作家が並んでいて、それも手に取りにくい理由になっているのだネ。

③に取り上げられている文学者は、谷崎・原民喜・道造・中島敦石原吉郎・遠藤・三島・公房といったラインアップ。詩人もけっこう多いのは嬉しいネ、昔から学界が詩歌を軽視する偏向が強いからネ。ともあれ先般ヒグラシゼミで「名人伝」を発表したオキヌちゃんに、「文字禍」論をコピーして送って上げたヨ。