【『シドクⅡ』の反響】(研究者の感想)  シドク=刺読(刺毒)

 最初の『シドク』と同様、『シドクⅡ』もテクストの細部にこだわりつつ、《顕微鏡》で作品分析をするというのが目的なので、作品離れをしつつ流行の理論という《望遠鏡》を通して、テクストを大まかに捉える研究者が大勢を占める現在の学界では、あまり歓迎されているわけではない。おまけに「前書き」で価値の無い研究書を出版するのは罪悪だとか、ヒトのフンドシ(理論)で相撲をとる(論文を書く)のは好まないなどと書いてあるので、気分を害した研究者も少なからずいるようだ。ブログでも紹介したように、拙著をお贈りしたら早速に感想を寄せてくれた実力者のXさんも、「セキヤさんからは、自分のような者は他人のフンドシで相撲をとっている見えるので、軽蔑していることでしょう」などと記していたので、劣悪な研究者に放った矢が優れて人を傷つけてしまったようで、ハンセイすること頻り。

 もちろんテクストを丁寧に読みこむ研究者からも、その後もありがたい感想・評価をいただきとても励まされてもいる。年が明けて年賀状が届く前にと、年末に長いお手紙をいただいているので、遅まきながら紹介しておきたい。拙著の文章・論述の「毒」にあてられたという気持を込めて「刺読(刺毒)」だというお褒めの批評には、表現の上手さにヒザを打つほど感心しながら喜んだネ。のみならず、テクストに閉じているかに見える拙論が、実は現実世界を見すえる視野で論が展開されている点を鋭く指摘してくれているので、驚きつつも嬉しかったネ。

 例えば「安吾作品の構造」の末尾に言及しながら、

《「テクスト分析は、こうした形で現実社会の価値観の分析・批判へとつながってゆくんだ!」という勇気と言うべき、昂揚した気持をもたせていただいたことも事実でした。(長くなるので続く、拙著からの引用一文は略)》

 と書いてくれたのは、共感していただいたお気持に強く揺すぶられてしまったネ。「如是我聞」論の末尾で、太宰の〈弱さ〉が撃つ三島由紀夫という把握にも賛同いただいたことも含めて、かいなでの読み手には伝わらないことまで受け止めていただけているので、この研究者お一人のためだけでも本を出した甲斐があったと思えたネ。

 このところブログに記していた三島由紀夫についての論考にも賛同いただいているけれど、ブログ記事は1000字までというメドを遥かに超えそうなので以上まで。

 

 3月になったのに、別の研究者からまさかの感想を絵はがきでいただき、これも簡略ながら有りがたい評価で励まされたネ。この時期になると全体を読んでいただいた上でのご感想と思われるけれど、太宰の「冬の花火」論と「近代能楽集」論が非常に面白く啓発されたと言われると、もう1回だけ尿管結石の痛みを引き受けても構わないほどの気持になれたネ。この人は美術館で出遭ったりするほどの美術好きで、絵はがきもブログでも紹介したコートールド美術展でゲットしたらしいルノワールの「桟敷席」で、「多分お気に召さない太めのルノワール」をお詫びすると付してあった。チョッと太めの着飾った美人が、すぐ後ろの紳士と共にオペラグラスを持っている有名な作品だネ。最晩年のルノワールのひたすらデブで赤い裸婦像は嫌いだけど、それ以外ならルノワールは好きだと返事を書いたヨ。