「石(結石)が出た」からすぐに「月が出た」の炭坑節と共に、著名な詩句がダブって心中に反響したのだけれど、「出てくるわ」の中也ではない感じで落ち着かなかった。ふと朔太郎だったナと思い、探したら意外な表題の作品に含まれたフレーズだった。「蛙の死」というチョッと知られた作品だ。短いから、ついでに紹介して朔太郎に馴染んでもらう機会にしよう。近現代詩の歴史上では、際立って大事な詩人だしネ。同じ前橋出身という理由からではなく、高校生の頃から朔太郎には馴染んでいるヨ、全集はまだ放置したままで読まれるのを待っているけどネ。
蛙が殺された、
子供がまるくなつて手をあげた、
みんないつしょに、
かはゆらしい、
血だらけの手をあげた、
月が出た、
丘の上に人が立つてゐる。
帽子の下に顔がある。
(幼年思慕篇)
(註) 初出時では5行目が句点、7行目が読点だった。
「幼年思慕」というと吉原幸子の「幼年連祷」という詩集が想起される。
「――小ちゃくなりたいよう!」で始まる「Ⅰ 喪失」を教えてくれたのは、教養部時代に法学部の友人・野口明だったナ。法学部なのに中学の教員を全うしたという変わり種だから、今でも賀状にやり取りが続いている。「ふと」は『夏の墓』という詩集の作品だけど、桐原書店の教科書に採用してもらっている。その第4聯、
いつも こんなふうに
だいじなものは 去っていく
愛だとか
うつくしい瞬間(とき)だとか
何の秘密も 明かさぬままに
ナイーブな吉原幸子の世界も、今や貴重なものとなってしまった。汚れきった現代世界から一時避難するためにも、読んでもらいたいネ。現代詩文庫(思潮社)に入っているヨ。
「月がでた」の炭坑節が出てくる詩には、三上寛の『お父さんが見た海』という詩集の表題名の作品に出てきたと思うけど、詩集が見つからないので確認できない。父が酔うと「月が出た、出た、と歌うのである」というフレーズがあったと思う。「オーバイの失恋」というシュールな詩も書いて歌っているシンガー・ソングライターで、宇都宮大学在職中には毎年文学史の授業で詩歌を取り上げ、三上寛は欠かせなかったナ(中島みゆきは詞だけでは鑑賞できなかったネ、やはり歌なんだネ)。学大でも文学史の授業で1回限り詩歌を取り上げたものの、小説抜きの文学史などあるか! というキツイ意見をアンケートで書かれたので止めたナ。
小説偏重の日本文学だから、意識して詩歌に馴染まないといけないと注意を喚起しているボク自身が、退職後はご無沙汰気味なのでハンセイしている。皆さんも詩歌とお忘れなく!