【状況への失言】トランプを否定し過ぎて、田嶋陽子にならないように! 差別主義者・小池百合子は否定しよう!

 アメリカでは殊のほか黒人差別が根強いので、ため息交じりの失望感が深まるばかり。もちろんトランプと彼を支持する白人たちに刷り込まれた差別意識が、いっこうに薄まらないためだ。そもそもトランプ(達)が、保険制度などオバマが残した政治的成果を真っ向から否定しようとしている深層意識には、露骨には言わないものの黒人差別があるのは間違いなかろう(誰も言わないみたいだけど)。立派な人・オバマ大統領に対して、極悪人・トランプといった対照がアメリカの良識派の把握なので、トランプがその図式どおりに白人警官の立場を擁護しようとすればするほど、黒人差別を抗議する運動が盛り上がっているということだろネ。

 とはいえ黒人差別をした歴史的人物の像をむやみに引きずり下ろすというのは、危険な兆候だネ。しばらく前に南軍のリー将軍の像も撤去するとか、「風と共に去りぬ」の上映を控えるとかいう情報が流れた時に、まさかと思いつつもそんなことしたらトランプが大統領に再選されてしまう危惧を高めるだけだ、と心配していたヨ。州の知事が民主党の場合、特にその傾向が強いそうだけど、トランプ同様の狭量さで呆れているヨ。もちろん知事を支持する人たちに背中と押され、記念像を撤去すると言い出した可能性も高いけれどネ。

 でも知事ともあろう者がシッカリした見識を持って事に臨まないと、トランプを裏返しただけの存在に堕してしまうことになる。トランプの黒人差別が行き過ぎなら、それに抗する運動も行き過ぎになりそうな勢いが心配だ。リー将軍南北戦争で名を遺した優秀な将軍だという評価は、世界に共有されていると思う。そのリー将軍が黒人に対して差別意識を持っていたとか、「風と共に去りぬ」の映画にも黒人差別が露わだとか言い出したら、歴史に対する評価が間違っていると言わざるをえない。ソ連が崩壊した直後、各地のレーニン像が引きずり降ろされた光景がよみがえってくるヨ。ボクはコミュニストであったことはないけれど、レーニンが果たした歴史的役割を否定したこともない。

 その時代に生きた人々は、その時代全体が共有する意識に限界付けられていることを忘れてはならない。時代を超えることができたのは、希少な天才(?)だけだ。フランス革命の時代に女性の権利を主張した女性メアリ・ウルストンクラフトや、織田信長などはその例だと言えるだろう。リー将軍も、民主党員で憲法を起草したジェファーソンも、黒人奴隷を所有するのが時代に共有された考え方から抜け出せなかったということだ。

 例を文学に求めれば、漱石の「坑夫」という小説には伏字が設けられているけれど、「このエモ(芋の北関東なまり)はエエ(良いのなまり)エモだ」という好きな場面に、「このエモはエモの穢多(えた)だ」という差別語が原文には使用されている。「満韓ところどころ」という紀行文にも、満州や朝鮮の人たちを差別するような語句があって、それを問題視する留学生や日本人もいるけれど、漱石も時代の制約の下で書いているので、被差別民や中国人・朝鮮人を殊のほか差別していたわけではない。漱石も時代の子だったというだけの話だから、差別用語を使っているからといって漱石を文豪の位置から引きずり下そうとしたら、トランプや過剰な反差別主義者たちと同じレベルの愚か者に堕すだけだ。

 この過剰さこそ、前に書いたとおり田嶋陽子を典型とする愚か者の特徴なのだ。やられた(差別された)という被害者意識にしがみ付いて、過激に破壊したがるヤカラこそ「田嶋陽子」なのだ。トランプを否定するのは大賛成だけど、トランプを利するような「田嶋陽子」たちの破壊行為には大反対だ! と敢えて記しておきたい。

 都知事選では朝鮮人差別が取り上げられていないけれど、小池百合子朝鮮人を差別する「トランプ」であることも、以前記したとおり。人間を差別するゲスを知事にしてはいけない!!!