【読む】松本和也  井伏鱒二  野崎歓

 ボケる前にたくさんの優れた書に出会い、お陰で充実した読書が続いていたのだけれど、釣り部などで中断していたものの復活する余裕ができた。松本和也氏から『太平洋戦争開戦後の文学場』(神奈川大学出版会)を贈られ、自分がやろうとはしていたものの手に付かなかった問題を期待を超える緻密さで教示してもらい、死ぬ前に本書を読めた喜びを噛みしめる思いだったネ。資料は集めたものの、合冊版の新聞類をはじめ未読のまま研究室に残して退職したものもある。松本氏は合冊されていない個別の新聞にも当たるのは無論、目立たないものも含む雑誌類にも目を通して詳細に論じているので、きわめて貴重な研究書だ。

 とおススメしても、書名の問題に関心の無い人には無味乾燥な叙述にしか受け止められないだろうから、一般にはネコに小判の書になってしまうのかな、惜しい限り。実は興味ありありのボクにとっても、本書ばかりを読んでいても集中力が続かないので、本書の前に出版されていた『日中戦争開戦後の文学場』(同)をゲットしたところ(ユウ君にアマゾンに注文してもらい)、こちらはありがたいことに馴染の作家・作品名が並んでいるので親しみやすく、さっそく井伏鱒二川端康成の章を楽しく拝読している(他には岡本かの子吉川英治岸田國士火野葦平尾崎士郎など)。

 井伏は「多甚古村」が論じられているのだけれど、驚いたことにボクはこの著名な作品を中途で投げ出したまま通読していなかったのだネ。慌てて字の大きい全集を取り出して読み始めたら面白いこと! これも井伏文学に関心が無い人には退屈極まる作品かもしれないけれど、ファンのボクには些末な日常の連鎖が味わい深い文章でつづられているのが、加齢とともに楽しいのだナ。

 ただ松本氏の論は副題の「『多甚古村』同時代受容分析」のとおりで、テクスト分析ではないことはお断りしておこう。太宰などで緻密なテクスト分析を見せつけてくれた氏は、ここではテクストに踏み込まずに作品が時代にどう受け取られたかを分析しているので、テクスト自体の面白さを伝えてくれているわけではない。この手の井伏のテクストを論じるのを諦めたことがあったけど、『解釈と鑑賞』で「集金旅行」論を頼まれて断った時だったかな。さしたる事件もない日常を追ったテクストで、自分には論じる能力がないと判断したものだ。後で新城郁夫さんがこれを論じたのを読み、自分の非力さとともに新城氏のテクスト分析にひたすら感心したのを忘れない(その後の新城氏が井伏や川端から離れてしまったのは、残念でならない)。

 

 ともあれ松本氏のお陰で「多甚古村」に〈再会〉できただけでも感謝だヨ。井伏では野崎歓さんの『水の匂いがするようだ』(集英社)もゲットしてもらい楽しんでいるところだけど、さすがに「ライ麦畑でつかまえて」の訳者らしいステキな論だネ。この上ない名訳だと思うけれど、村上春樹がわざわざ「キャッチャー・イン・ザ・ライ」とかいう題で翻訳したと聞いても、訳す・読む必然性を感じなかったナ。ともあれ野崎さんは、むかし同じ集英社が出した涌田祐という人の井伏論を取り上げ、涌田氏がズーデルマンの「猫橋」を井伏が翻訳して「父の罪」と題して井伏文学における〈父の罪〉に一般化して論じているけど、《ほとんど何の関連も感じなかった》と明言しているのでスッキリしたネ。この涌田氏は文学のシロウトながら、細かいことを調べるのが好きらしく井伏研究に貢献したこともあるのかもしれないものの(井伏の専門家が取り上げたのを見た記憶もないけど)、ことテクストや作家分析に至ってては思いつきの羅列で迷惑そのものなのだネ。小林秀雄については佐藤公一という御仁が何の益もない紙クズ同然の本を出し続けていることは以前ブログにも記したとおりだけど、涌田氏の井伏論も同じように見えていたのを野崎さんが断言してくれていたので気持ち良かったのだネ。集英社が三文の値打ちもないような涌田・井伏論を出しながらも、2年前に野崎さんの井伏論を出して名誉挽回した感じだネ。野崎さんのは安心して読めるのでおススメです!

 「猫橋」の井伏訳は全集に入ってないので、昔の生田春月訳をゲットしてもらって読んだら、これも面白いこと! もちろん原文が読めないので対照しようがないけど、やたらと擬人法を使った翻訳なので生田長江訳の「サランボー」(フローベル)が想起されたネ。横光利一の「日輪」をはじめとする初期作品に頻出する擬人法が、生田長江の訳文をヒントにしたというのは研究書で知ったけれど、長江ならぬ春月の訳文も擬人法を使いたがっているので親子かと思ったものの、出身地が同じという縁だというのは初耳だったネ。表現の興味深さで冒頭の2章くらいまで再読してしまったけど、ストーリーも面白くて続けて読みたくなっている。望月哲男氏から贈られたトルストイ戦争と平和 2」や「アンナ・カレーニナ」全巻その他数冊が待っているのにネ。ともあれ読了するまで死ねないネ。