【読む】松本和也(補遺) 川端康成  井伏鱒二

 松本和也日中戦争開戦後の文学場』を紹介しながら、川端論に触れるのを忘れてしまった。川端の「高原」という作品を取り上げているのだけど、聞いたこともないし、文庫にも入っていない模様。本書に収録される前に抜き刷りか何かを送ってもらった記憶もあり、松本氏が得意の太宰論のように緻密なテクスト論を展開しているなら読んでみたい、川端の専門家も言うように川端論はあまり優れた論や書が見られないので、松本氏なら読み応えある論を展開しているに違いないと期待した覚えがあるのだナ。ところが文庫に入ってないようなので、論文を読む前に作品を読むようにしているボクとしては、「高原」論を読むことを控えていたままだったのだネ。

 でもいざ松本論を読んでみると、「連作受容の変遷」という論題のとおりで、これも井伏論と同じでテクスト分析ではなく作品の「受容」史なのだネ。残念ながら松本氏のテクスト論は楽しめなかったけれど、論文を読むと作品自体を読まなくても物語内容が理解できてしまうので、敢えて作品を入手する気も失せてしまったネ。日中戦争さなかにもかかわらず、川端が己の文学を貫いたというスゴサが伝わってきたので、論を読んだ甲斐があったという次第。川端にこんな作品があるとは知らなかったけど、このような作品に注目する松本氏の目の付け所には改めて感心したネ。もちろん「受容」を詳細すぎるほど丁寧に分析していく能力にも脱帽だけどネ。今は第5章の岡本かの子論を読んでいるところだけど、これも専門家の宮内淳子さん等の論とはアプローチの仕方が全然異なるので、とても興味深いネ。

 前回名前を出した新城郁夫氏が、既発表の論文や修論をまとめて川端論を(井伏論も含めてという案もあったけど)1冊にまとめてくれれば、死ぬ(ボケる)前に楽しめるとは思うものの、現在の新城氏の関心は沖縄から離れることはできないのだろうな。

 

 松本氏の本のお陰で井伏の小説を読む楽しさを思い出したことは記したけど、推薦した野崎歓氏の井伏本の「あとがき」に《文章を読むことの純粋な楽しみに浸らせてくれる作家》という評価には全く同感だネ。実は読みやすさから、井伏作品の読書はもっと年をとってからの楽しみにしていたのだけれど、「多甚古村」に引き続いて少しずつ井伏も読み継いでいくことになりそうだネ。全集には未収録だろうドリトル先生シリーズも含めてネ(これも野崎論に刺激されて読みたくなったのだネ)。