【『太宰・安吾に檀・三島 シドクⅡ』】檀一雄の論

 このところ「お仕事」に追われ続けてブログ更新がままならかったけれど、きょう解放されたので暫くの間はノンビリできるようになったヨ。今は披露困憊で眠いだけ。取りあえずは『シドクⅡ』でまだアップしていない、檀一雄の前記作品論を選んだ。たぶんこれで論文は全部だと思うので、次は「あとがき」をアップするつもり。

 

 檀一雄

 

 「夕張胡亭塾景観」――〈断崖〉からの跳躍

 

 

                物おもへば沢のほたるもわが身より

                  あくがれ出づる魂(たま)かとぞみる       和泉式部

 

     あくがれ出づる魂

 

ロマン主義〉の定義は困難を極めるそうであるが、日常性に自足しえずにそこから〈あくがれ出づる〉心を抑えがたいような檀の在り方は、基本的な意味におけるロマン主義と言うにふさわしい。そもそも『日本浪曼派』は悪名高い方向に行く以前、少なくともその始発の時点では、せいぜいこの基本的な意味における〈ロマン主義〉に止まっていたはずである。だからこそ檀一雄太宰治も吸収しえたのであろう。

 ともあれ檀の創造するロマンティスト達は「家庭の虜」(「リツ子・その愛」昭25、「一」)としてジッとしていることができず、その遠い眼差しのかなたに〈あくがれ出〉でて行くのである。「リツ子・その愛」の冒頭部が〈ロマン主義者〉檀一雄の様相を雄弁に物語っている。

 

「檀さん、洛陽に行きませんか?」

「行きましょう」

「すぐにですよ」

 とK社の網野君が二階座敷に坐るなり、心持私の表情を見上げるように、こう云った。

 洛陽。行きたいと思った。なにを打捨ててでもよいと思った。東洋の文人にとって、またとない目出度い聖地に行脚出来る心地である。私は辺りの青葉のひるがえるのを眺めながら、例によって新しい生涯にすべり落ちる時のめまいに似た不安と、静かに湧きおこってくる陶酔とを味わった。 (一)

 

 「なにを打捨ててでもよい」というように、〈いま・ここ〉に生きる己れに安住することなく「新しい生涯」に思いを馳せて〈恍惚と不安〉(太宰治)に充足するのである。絶えず〈自己革新〉〈自己超脱〉を試みること、それこそが檀一雄的な在り方なのである。引用の少し後に《跳ぼう。思いきって。この俺は、いつも断崖の頂きから飛び降りる名人ではなかったか。》(同)とあるが、その跳び方たるや「見る前に跳べ」(大江健三郎)と自身を駆り立てなくては行動を獲得できぬような、見ること(認識)に憑かれた現代知識人の逡巡とは一線を画している。少なくとも自分一己の問題に関しては、身の危険を顧みることなく「見る前に跳」ぶのである。跳躍の「名人」たる「私」は、ここでも最初の東京大空襲を体験し、国が敗北への過程をたどり始めているのを知って「背筋を流れるような冷たい不吉」を感じながらも、妻子をおいて跳躍することを既定のこととしている。「冷たい不吉」は出発寸前には幼な子太郎のハシカに、そして《累々屍の間をふみわけてゆくような、動乱の旅》(二)の留守中には妻リツ子の結核の発症として形をとることになるのではあるが……。

 

     〈断崖〉からの跳躍

 

目前のものを投げ出して「断崖」から跳躍する「名人」の在り方は、周知の「火宅の人」(昭36~50)となって集大成されるわけであるが、その〈あくがれ〉の表現をさかのぼれば最初期の詩編に到り着く。

 

なごやかな春の雨に/猫柳の鮮緑はふくらみ出で/温き乙女のうるほひに/私の魂はとよめく/おゝいこひよ/楽みよ 静けさよ/望みよ……そして/ああ私のあこがれよ……/青春の大空に/五彩の虹はきらめく

 

生の命を秘めた文月の雨の飛沫(シブキ)に/胡椒の玉は赤らみ出で/熱き乙女の接吻に/私の血潮は燃え立つ/おゝ恋よ/踊よ 抱擁よ/接吻よ…・・・そして/ああ私の熱情よ……/青春の大空に/真夏の太陽は燃えたぎる

 

 福岡高等学校時代の同人誌『髑髏』の創刊号(昭4)に掲載された詩の中の一つ、「青春」である。「あこがれ/青春の大空/生の命/血潮/熱情/真夏の太陽」と檀一雄ボキャブラリーが並べられてはいるが、どこでもありがちな青春賛歌である。際立った表現も見当たらぬ、凡庸と言っていいこの詩の作り手が、どのように「檀一雄」へと変身していくのかという難問が作家論の課題として残されている。換言すれば一般的なレベルでしかなかった「青春」詩の「あこがれ」や「熱情」が、いつどのようにして「断崖」からの跳躍というライトモチーフを獲得していくのか? 作家「檀一雄」の誕生とは、一人の稀有なロマンチストの出現にほかならないからである。

 どのようにしてかは今答える用意はない。しかしそれは突然完成された形で現出したのである。『日本浪曼派』(昭10・12)に発表され、第二回芥川賞候補となった「夕張胡亭塾景観」がそれである。その冒頭。

 

禿鷹の夢を見たというのである。夕張胡亭生前四十二歳の厳冬であった。(略)

砂漠に近い崖のようでもあった。或いはずっと北国の断崖ででもあったのか。兎に角荒寥といちめん稜の鋭い礫がとんでいた。陽ははすかいに空を切り、キラキラ光っていたのは崖の縁に違いなかった。禿鷹はそこにとまっている。爪がそのきりはしを噛んで、巨大な蚯蚓(みみず)がのたうちまわっていた。禿鷹はそれを覘(ねら)う。嘴は折々砂塵をあげて硬い土のなかにめりこむのである。蚯蚓の肌は裂かれていた。しかし鷹の眦(まなじり)からも血を噴いている。砂崩れがした。鷹はよろめいた。のけざまに空しく砂を嚙んだ爪。墜ちたのか。墜ちたのか――   (一)

 

 夕張胡亭とは「志士ともつかず、俳諧宗匠ともつか」(同)ぬ塾の主とされており、この男が厄年の厳冬に見た夢から語り起される。夢は現実から〈あくがれ出づる〉媒体ともなり、檀の初期作品に頻繁に現れるものである。禿鷹とは《頰はげっそり陥ち、酒やけらしい鷲鼻の赤いしみの上に、据わった両眼が物凄く光った》(三)胡亭自身の表象と読める。禿鷹、すなわち「威圧力の遣場なさ」(同)を抱え込んだ胡亭が格闘しているのは、土中(無意識下)の巨大な蚯蚓に形象化された自身の「狂おしいまでの激情」(十二)といった構図である。

 己れを抑えそこなって空をつかみつつ「断崖」から墜落(?)して行く禿鷹は、作品終結部で「おれはいつこんなにも遠く駈け去ったのか」(同)云々といった感慨を抱きながら頓死する胡亭を予見させている。檀作品に頻出する「断崖」とは生死の境目として在り、したがって死を内包することによって生を活性化したり、あるいは「狂おしいまでの」過剰な生が投身する場でもある。胡亭の「不幸な觀骨の勾配」(二)も何やら「崖」の形状を連想させもする。

 

 胡亭の「激情」を増幅させたのは僚友矢野小弥太の帰還である。「氾濫する激情」(二)に由来する「旅行癖」(一)に憑かれた小弥太は、檀の小説世界における典型的な人物であり、十数年前に〈旅〉への誘い抑えがたく新妻と赤子を置いて放浪の途に出てしまい、今回の帰国時には実子圭介は十七歳になっている。残された母子を自分の籍に入れた胡亭であるが、無断で北海道に旅立った留守中に再度捨てられたと勘違いした妻が自殺してしまうのであるから、胡亭も小弥太と同様の衝迫を抱え込んでいたのは明らかであろう。

     檀一雄三島由紀夫

 

もう一人の人物の死に様にも言及しておかなければならない、真吾である。真吾は綾と三年前に駆け落ちして胡亭塾に舞い込んできたのであるが、綾が胡亭にも小弥太にも淋病をうつしながら生き残って物語が閉じられる、という運びとなる。一方の結核患者だった真吾は、退院できたにもかかわらず、胡亭の死後これも〈崖〉の上から死を急ぐのである。

 

或夕小弥太は真吾と連れだって裏山の崖の上を歩いていた。(略)言葉は交わさなかった。二三間先を歩いていた真吾がヒョイと立ちとどまり、西陽を背にしどっと黒い血を噴く。おや、と小弥太がその顔色を見ようと焦った瞬間、真吾の体はゆらゆら揺れはじめ、もう毬(まり)のように崖の縁からすべっていった。

 綾はおどろかなかった。ただ涙をため、小弥太の顔をじっと見かえすばかりである。落ちたのかな、飛んだのかな、と小弥太はその記憶の困惑のなかで日を送った。(十二)

 

胡亭や小弥太の狂熱に染められながら「真正な情熱」(七)を醸成してきた真吾が、事故死するはずはあるまい。小弥太とペルー行を約束しながらも、身体の衰弱故に果たせない焦慮が、真吾を〈断崖〉からの跳躍へ駆り立てたに違いない。あるいはまた胡亭頓死の少し前、母親の死をなぞるように縊死しようとして果たせなかった圭介も(胡亭だけがそれを目撃している)、やがては〈断崖〉から跳ぶのか、または小弥太のように「氾濫する熱情」を〈旅〉で消尽することになるのか? 胡亭頓死後、彼が愛玩していた白梅のかたわらの井戸掘り作業が湯泉を掘り当ててしまい、胡亭塾に集まる男達の「狂おしい激情」のように湯が噴き上がるところでエピローグ(十三)は結ばれる。噴出する湯は白梅の花を散らすだけでなく、圭介の激情をも揺り動かしているとすれば、圭介が綾と共に胡亭塾に留まり続けるとは考えにくい。

 

 『日本浪曼派』(昭10・8)に発表された「花筐序」は、間に「夕張胡亭塾景観」が挟まれたことによって全く異質な作品「花筺」(昭11)へと屈折していく。「夕張胡亭塾景観」から引き継がれたロマンティックな雰囲気の濃厚な「花筺」にも、冒頭に〈崖〉が現れる。

 

 榊山は丘の頂きに立っていた。どうどう波の音が湧いてくるその足許から乳白の霧が渦をまいて榊山の毛髪をあおり上げていた。潮風は容赦なく手足を濡らしたが、五十尺の崖下にうねっている海は霧の底に見えなかった。いや、白い霧の包囲のなかで、風と波の咆哮と絶えず吹上る毛髪のほかには一間先の視野も閉ざされている。感受性の隅々までが何の隠蔽もなく放置され、五体はわなわなとふるえていた。

 

 「花筺」は三人の少年達の「感受性」の氾濫が織りなしていく物語ではあるが、〈断崖〉からの跳躍を果たすのは榊山ではない。自身を含む三者を榊山に向かって分析してみせる、他ならぬ吉良が跳躍するのである。

 

「君は見るまに伸び上がるね。もうじき僕も鵜飼も君の亡霊だ。君には勇気がある。おそらく一番ね。鵜飼には生命しかない。あんな美事な生命という奴は人が享けねば意味がないんだ。ところで僕には何もないよ。(略)僕は仮りに気紛れな僕の観念を信奉する。突嗟に観念の指令を発したら、必ずそれを断行する。どんな破廉恥でもいいよ。僕は僕の意志だけを信じている。熱狂的に信奉する。それだけさ。」

 

 何やら三島由紀夫の文学世界を連想させる構図であり、三島の一連の作品と比べてみたい誘惑を感じるが、それこそが『日本浪曼派』を介して両者が架橋されるゆえんであろう。この〈観念〉に枠付けられた吉良がわざわざ〈崖〉の所まで榊山を呼び出し、彼を証人としてその目前で跳ぶのである。磯田光一の傑出した三島論『殉教の美学』(冬樹社、一九六四年)の把握をズラして言えば、ドン・キホーテ(行動家)が単独では存在することができず、サンチョ・パンサ(傍観者)との共存を必然とする世界である。ますます三島文学との類縁を論じたくなる問題ではあるが、両者の決定的な差異も予断として記しておかねばならない。檀の〈あくがれ出づる〉心を保田與重郎風に言い換えれば「わけのわからぬ巨大な衝動」(『真説石川五右衛門』解説)ということになるが、例えば「金閣寺」の主人公・溝口は「根本的に衝動」(第七章)が欠落していることを自覚しつつ「衝動の模倣」を好んだはずである(本書の「金閣寺」論を参照)。

 〈巨大な衝動〉に翻弄される檀(的人物)と、〈衝動の模倣〉に甘んずる三島(的人物)との対照は、その後の両者の後半生に明らかだ。片や世界各地に跳躍し続けた檀に対し、過剰なまでに美化した〈日本〉に跳躍して果てた三島の惨劇は痛ましい限りである。