【読む】藤原耕作の坂口安吾論・石川淳論

 藤原耕作さんが「坂口安吾『二流の人』論」と石川淳の「現代訳日本古典 秋成・綾足集」論を送ってくれた。前者は京大の機関誌『国語国文』で後者は東大の『国語と国文学』に掲載されたものというのだから、論文のレベルの高さは疑いない。京大や東大という名からではなく、両者共に昔から他大学・一般に開かれた研究誌であり、だれでも投稿できるものの厳密な審査を通らないと掲載されないものなのだ。

 「二流の人」論は『シドクⅡ』にも収録してあり、ものすごく興味があったので目前の仕事が済むのを待ってすぐ拝読した。以前いただいた安吾の「イノチガケ」論でも圧倒されたけど、藤原さんの研究は本格的で実によく資料を調べた上で、テクストを綿密に資料と照らし合わせて読みこむので教えられることばかり。原資料として山路愛山徳川家康」くらいは知っていたけど、藤原さんが上げる厖大な資料は聞いたことのないものばかりで、それらが読みこまれた上で論に吸収されているので驚くばかり。

 先行研究も網羅して検討され、例えば安吾研究に詳しい関井光男には《少々不正確な記述》を見出し、文学に対する理解も深い歴史家・成田龍一には「誤読」があると指摘している。「二流の人」というテクストが、戦前に起筆されながらも刊行されたのが戦後だった、という事情があるために誤解が生じたわけである。藤原さんの論はそれらの誤解を指摘しながら、テクストを《戦時下の作品として読み直す必要がある》(一)というモチーフで一貫している。それ自体は極めて興味深いことではある。

 しかし「戦争マニア」である如水と《対比する形で、平和を目指した三成や行長の行動が肯定的に描かれている》(四)という断案には簡単には賛同しかねる。藤原論の小西行長のくだり(四)は殊のほか刺激的で、資料にはない(反する)ような行長像が《意図的に仮構された》(四)手順が指摘されている。そこまでは良いのだが、そこから次のような決めつけ方がされると同調できなくなってしまう。

 《おそらく同時代の満州事変以来うちつづく「長い戦乱」と作品中の「応仁以降うちつゞく戦乱」とは重ねられている。》(五)

 《秀吉の朝鮮遠征を批判的に描くことは、それを通して同時代の戦争やその指導者を打つことに通じていく。》(同)

 《『二流の人』は時代を二重写しにしながら、戦国時代や武将の批評を通して、同時代の戦争や軍人への批評を可能にすることを目論んだのだろう。》(同)

 さらに《書き手の戦争への厭悪であり、平和への祈念であった》(同)とまで言われると、私の安吾像からかけ離れてしまうので納得できなくなる。先般、五味淵典嗣『プロパガンダの文学』収録の安吾「真珠」論に対する違和感を記したことに通じるのだけれど、安吾のテクストから一義的な意味や意図を読みこむことはできない、というのが私の揺るがない安吾観だからだ。殊に安吾反戦的な意図を読もうとすると、少なからぬ安吾論と同じ誤りを犯すことになると危惧している(藤原さんは「反戦」ではなく「厭戦」としているけれど)。

 テクストが厭戦的に読めると言うのは良いけれど、語り手や作者が厭戦的だと読みを限定するのは危ない。『シドクⅡ』にも削らずに残した私見、太宰をはじめとする左翼運動体験者と比べて、《安吾小林秀雄には国家を対象化して捉える観点が根本から欠落している》(98ページ)ので、国家や権力を正面から批判する姿勢を安吾に読みとるのは一面的に過ぎると思う。直観的な私見ながらも、雑誌発表の際には同感する旨の感想もいただいて心強かったものである。

 

 安吾論が長引いてしまったので、石川淳論の方は簡略な感想に止めたい。というより論じられている作品が手許になく読んでないので、単純な感想しか述べられない。そもそも石川淳は太宰や高見順などとの関連からの関心に基づいているので、淳自体を論じる興味がハナからないし、論じる能力もない。昔から石川淳論をリードしてきた鈴木貞美さんや、大学の後輩の山口俊雄さん等の論に教えられてきた上に、先年法政大学大学院の授業を引き受けた時に出会った関口雄士クンが、今どき珍しく石川淳を研究しているというので、改めて石川淳に対する興味が掻き立てられていたので、藤原さんの論も面白く読めたという経緯かな。

 藤原論はここでも綿密な資料探索に基づいた論の展開ながら、先行研究が上げる資料に付加したり相対化したりしているものがあるのかは、無知な身なので全く分からない。ただ安吾論同様に、ここでも戦争下の文学活動として論じるというモチーフが貫かれていて興味深い。石川淳安吾や小林とは異なり、(若い頃に左翼だったという記憶もあるが)進歩的な考え方を持続している人で、藤原論でも《文学報国会といふものがでつちあげられて》(一)というもの言いが紹介されている通り、権力批判の姿勢が保持されている。しかし論の掉尾がの『義貞記』に至る、厳しく長い後退戦を戦っていくこととなるのである。》(五)という結論には納得できるものの、単純な結論にたどり着くまでの考証がくり返しばかりで、目新しいものが感じられなかったので、豊富な事例が挙げられながらも物足りない論だという感じが残った。