【読む】日高昭二『利根川 場所の記憶』

 翰林書房から日高昭二さんの大著が送られてきた。表題のとおり、利根川にまつわる文学的記憶ともいうべき文章の集積だ。日高さんといえば、昔の学会で「蟹工船」についての充実した発表に圧倒されたことを忘れない。それらの論文は『文学テクストの領分』(白地社)に収録されているけれど、近著は論文ではなく利根川沿いの土地にまつわる作品についての、滋味あふれる文章が集められていて親しみやすい。

 ボクも前橋出身で高校生まで生きた土地なので、利根川は子供の頃から釣り等で親しんで育った川だけれど、日高さんも茨城県の生まれということなので、利根川には特別の興味があることが本書の各編を読めば伝わってくる。各章の特色は「はじめに」に詳しい。

 前橋育ちの萩原朔太郎については、博覧強記の日高さんらしく、聞いたこともないような文献を参照しながら論文のように展開されているので、種々教えられながら懐かしい橋や土地の思い出を楽しんだ。退職後の読書の楽しみとして、数種の全集を用意してある中の1つが朔太郎全集なのだけれど、順番を無視して早く読みたくなってきたナ。日高さんも罪作りな人だと思ったけど、高見順全集の「短篇集 一」(全集第八巻)の「堤を行く救済婦人会」は未読だったので、とてもありがたい案内だった。

 表題からし足尾銅山鉱毒問題の章(第五章)の1つだとは分かるだろうけれど、日高さんの言うように《「救済婦人会」の人々に与えられた冷ややかなまなざしの記述には、この作家の特異な距離感が浮き彫りにされていよう。》という興味深さだ。この「冷やかさ」は左翼学生だった頃の順の、ブルジョア小母さんたちの思い付き的「善意」に対する皮肉なのだろうとは思う。

 田山花袋に1章が割かれている(第四章)のは当然としても、高見順をはじめ意外な文学者の名が出てくるので研究者は必見の書であり、一般読者は関心のある箇所を広い読みする楽しみ方ができる書である。住んでいる土地の図書館に備えさせて楽しんでもらいたいものだ。