【読む】山崎正和の死(代わりに代替可能な存在・安倍晋三が・・・)  「鷗外 闘う家長」

 往生際の悪い安倍晋三が退陣を表明する直前に、多才な知識人・山崎正和が亡くなった。それなりの年齢ではあったけど、世のため・人のためを考えれば、代わりに安倍晋三がくたばってくれた方が喜ぶ人が多かったろうに。とりわけ安倍のせいで自死にまで追い込まれた役人の妻からすれば、天誅という言葉を連想しなくても、夫の死とのバランスが少しでも取れたのではないかと察している。安倍や麻生のように個人的にはバカかそれ以下なものの、幼い頃から何でも「お付きの者」にやってもらったように(そのせいか2人とも漢字の誤読が多い、というより麻生は読めないか)、政権・政策はブレーン任せで自分で考え出したものはゼロに近いだろう。親父や祖父の七光りだけで生きているわけだから、代替可能なケチな存在でしかない。その点、山崎さんは独創的な存在で代替不可能な巨人だったネ。

 

 ボク等が学生時代に広く読まれた(と思う)山崎正和も、最近の研究者・学生はあまり読んでないようで残念だネ。ボクでも3冊ほど持っている「世阿弥」などの戯曲や、数多くある文明批評はともかくとして、文学批評を読まないのはモッタイナイね。中でも「鷗外 闘う家長」は刺激的だったナ。ちょうど大学院で(学部でも)鷗外を読まされていたので、山崎さんの鷗外論は柄谷の「歴史と自然」(『意味という病』所収)と共に最高レベルの面白さだった。

 今でも覚えているのは、鷗外は生涯で3回の決断をしたという。その1つが母親が決めた初婚相手と離婚した時だ(赤松登志子がブスだったせいだという説も強いけど)というのは、ボクとしては己の不甲斐なさが思いやられるヨ。もう1つは死に臨んで治療を拒否し(医者だから自分の病気が分かっていた)、遺言で有名な「石見の人として死せんと欲す」と残したこと。生前の栄誉を全部否定しつつ、タダの人として死にたいと強調したことだネ。もう1つは養子に出されそうになった弟を、自分が生涯責任を取ると言って他家に出さなかったこと、の3点だネ。

 新潮文庫にまだ入っていれば入手しやすいだろうから、一読をおススメだネ。

 次作「不機嫌な時代」が否定的評価を受けたのは、「鷗外 闘う家長」がデキ過ぎたのも理由の1つかもしれない。