【状況への失言】イスラム原理主義者(?)のテロ  表現の自由=風刺の自由(?)

 いったん話題を変えてから、中島岳志に戻った方が飽きないだろネ。

 

 フランスの週刊紙シャルリー・エブド』がムハンマドマホメット)の5年前の風刺画を再掲載し、再びテロ攻撃を受けたことはどの程度知られているのかな? 前回ほどニュースに取り上げられなかったので、知らない人もいるかもしれない。前回の事件は2015年1月で12人殺害された(朝日新聞9月21日の記事によるが、ボクの記憶だと無抵抗の警官も殺された)にもかかわらず、同じ風刺画を再掲載した意図が理解不能ながら、シャルリーはふだんの3倍数を発行した上にさらに20万部増刷したとのこと。2度目のテロはその数日後のことだ。売れれれば再びテロリストの標的になってもかまわない、という魂胆がうかがわれる。つい最近のテレビ放送大学の「フランス語Ⅱ」で偶然知ったのだけど、シャルリーは元は別名の風刺紙だったものの、ヤリ過ぎて廃刊した後に改名して継続したとのこと。フランス人はよっぽど風刺が好きなようだネ、だから売れるのだろうけど。

 もちろんパキスタンやエジプトなどでは抗議のデモが起きているという。しかし今回も世論調査では59%の市民が「表現の自由」を理由にシャルリーの風刺画掲載を支持したそうで、マクロン大統領も「表現の自由」を楯に《冒瀆の自由も保証されている》とシャルリーを擁護したそうだから分からない国だ。新聞記事の記者・疋田多揚さんによれば、フランスでは革命2年後の1791年に宗教の冒瀆が罪でなくなったという歴史があるという。フランス革命は神の権威を否定し、代わりに〈理性〉を信仰したとも言われるように、まさに中島岳志さんが危険視する〈理性〉の暴走から宗教の否定に行きついたわけだネ。

 フランスで政治と宗教の闘争に決着がつくのは、1905年の政教分離法の制定によるのだそうで、国家は個人の内面に踏み込まぬ一方、いかなる宗教的価値も代表しないということになり、それが現在のフランスという国の骨格になしたという。政教分離だからこそ《冒瀆の自由も保証されている》という発言も、違和感なく受け止められるのだろう。イスラム教の女性が公共の場ではスカーフを着用することが許されない、という考え方が正当とされるのも自然な流れということになるわけだ。

 記事によれば、シャルリーが風刺しているのはイスラムに限らずイエスも素っ裸にされたし、カルロス・ゴーン被告もからかわれたという。記事はさらに《異なる歴史と文化を持つ人々が共存する中で、表現の自由がどこまで普遍的なのかを改めて問いかけている。》と結んでいるけれど、その問いを身に沁みて受け止めるフランス人がどれほどいるのか、はなはだ心もとないものだネ。〈理性〉による限り(頭で考える限り)、政教分離を進めればイエスムハンマドも「普遍的に」風刺の対象になるわけだから、自分とは異なる文化を背景に生きる《他者》の存在は軽視されざるをえないことになる。

 

@ ボクの疑義を続けようと思ったけど、長くなるのでいったん終ります。