【状況への失言】「私はシャルリー」じゃない!  橋下徹の〈観念性〉とウサン臭さで坂本竜馬を侮辱

 前のテロ事件に際し、フランス人の多くが(?)「私はシャルリー」というプラカードを下げた人たちが街にあふれたという。その時も理解に苦しんだけど、(以前にもブログに書いたとおり)むかし筑波大学の日本人教員が公然と(授業でも?)ムハンマドをくり返し侮辱したため、大学構内で暗殺された事件を想起したネ。共になぜ時間的にも空間的にも多くの信者を持つ宗教の教祖を、そこまで冒瀆せずにいられないのか、ボクにはまったく理解できないのだナ。特に日本人教員の方は、イスラム教徒にイジメられたことでもあったのか、それにしてもシツコク他者が信じる教祖を侮辱し続ける気が知れん。

 フランス人は歴史的に〈理性〉に裏付けられた判断から、シャルリーの風刺画を許容しているのだろうけど、〈理性〉よりも〈伝統〉を重んじる日本人には理解できないネ。だからこそ日本では革命が起こらなかったし、世界でも珍しく王制(天皇制)が長期間持続しているのだろネ、良し悪し(あし)は別にしても。もっとも昭和の陸軍をはじめとして、〈伝統〉的な天皇制を〈観念〉的に美化・絶対化したために融通が利かなくなって自滅してしまった、という最悪の例も生じてしまったけれど。

 

 橋下徹のようにコンプレックスを核にしつつ〈理性〉(観念)的に判断しつつ事を運ぼうとする存在が、〈伝統〉重視の日本では受け入れられないのも当然なのだろネ。人並み外れてウサン臭い存在だしネ。個人的にも橋下が嫌いなのは、自分の思い付きを坂本竜馬の「船中八策」になぞらえたがるところネ。とんでもない勘違いで、竜馬のリアリズムこそ武士(殊に長州武士)の〈観念〉性を超克して新時代を築く基礎となったのだから。橋下が竜馬を口にするたびに、竜馬が凌辱された思いを禁じ得ないで殴り倒してやりたいヨ。