【読む】千田洋幸『読むという抗い』  切れ切れっの文学研究

 実に望ましい書が出た! 我が信頼するテクスト読み手、千田洋幸さんがやっと小説論をまとめてくれたのだ。副題が「小説論の射程」という論文集を、渓水社が2500円(+税)という安価で出してくれたのだ、中身が充実しているのに安い! 

 「あとがき」を読むまでもなく、立教大博士課程で文学研究を極めながらも、千田さんは学大の都合で国語教育のポストを納まって力を尽くしてくれながら、やがて学生・卒業生の関心に応えてくれたのか、ポップカルチャー研究に舵を切ったと思ったら、それらに関わる論文集を3冊も出版してしまったのだ。とんでもない万能選手で呆れるほどスゴイ才能! 心ならずも国語教育のポストに甘んじてもらっていると受け止めていたボクなど、学大で学科編成の変更が示された時などは、文学研究しやすいポストに移ることも勧めたのだけど、千田さんは現状に満足していると応えつつ、国語教育教室を充実させてくれたものだ。学大は全国の国語教育の核となる大学だから、能力がないとタイヘンだけどその期待にも応えているのだネ。

 大学院の新入生に対するオリエンテーションでは毎年、「千田先生は国語教育に籍を置いているけれど、文学研究者としても一流だから必ず受講するように!」と勧めていたヨ。学部でも文学の講義を担当してもらったら、ボク等ができないポップカルチャーを取り上げてくれた模様で、大教室に入りきれないほど受講生があふれてしまったそうだ。文学の授業ではありえないことだったネ。

 

 「あとがき」でも謝辞を献じられている、山田有策・石崎等という文学研究の傑出したツワモノの指導を受けながらも、文学研究の成果が目立たないほどの国語教育とポップカルチャー研究で結果を出し続け、3冊の書を出してしまったのだから奇跡というほかはない。学大赴任の時に若きチダヨーコーの藤村論を拝読した時は、若き藤村論者が現れたナくらいの感想しか抱かなかったけれど、山田さんから「最近は新しい理論の吸収と応用に励んでいる」という付け足しがあったことは忘れない。

 そもそもボクは藤村が嫌いで、そのため師・三好行雄が打ち立てた藤村研究の真価も理解できず、師に呑ませてもらっている酒席でも「先生は藤村をホントに面白いと思ってるンですか?!」と問い詰め、「嫌いだ」という言質を取って喜んでいたものだ。だから千田さんの研究の中でも、藤村論だけは未読のままでいる(もちろん上記の論は別で、「詩歌から散文へ」という定番のテーマだった気がする)。

 千田さんが学大に赴任した頃は、まさに新しい文学理論が未消化なまま直接テクスト分析に「応用」され、まさにテクストの断片と理論とのパッチワークが氾濫していたので(文学でも無知そのものの田嶋陽子が「雪国」論を出すなどの恣読)ウンザリしていたため、赴任当時の千田さんの論文を読むのは少々不安だったのは覚えている。ところが学大の紀要にのった「伸子」論や、今や入手不可能と思われる三谷邦明編の論文集に収録された「或る女」論を拝読して、その説得力に圧倒されてそれぞれの論を複数回読んできたのは事実として書きとめておきたい。

 

(思いのほか長くなったので、ここでいったん切るネ。)