【読む】原武史の団地論  ジョン・アーヴィング  橋爪大三郎の小林秀雄論  三枝和子の三島由紀夫論  スタインベック

 ナオさんからメールで、原武史さんの「大正天皇」は既に読んだということと、彼には《団地》というテーマもあって本も出していると教えてくれた。そう言えば原さんのラジオ放送大学を聴いていたら、「滝山コミューン一九七四」という団地を取材した(?)本があるというので読んでみたい気がしたのを思い出したナ。

 

 読んでいる本について記していると、中途で頓挫(とんざ)しているものが数十冊あるのでキリがない。振り返ってみれば、完読したものの方が圧倒的に少ない。先日、文庫を整理していたら、ジョン・アーヴィングホテル・ニューハンプシャー」を見つけてスゴク面白く読んだのに、下巻の終りの方を放置したままらしいことが判った。ハルキの羊男のヒントになったような、熊の毛皮をまとっていないと暮らせない女性が出てくる小説ネ。好みの作家なのでアーヴィングの作品を次々を読みたいと思いつつも、果たせないままでいる。「ホテル・ニューハンプシャー」は映画化されていて、それも面白い。

 ともあれ読みさしたままの本の中で、橋爪大三郎小林秀雄の悲哀』は小林の「本居宣長」論を丁寧に分析してくれて役に立つのだけれど(お蔭で小林の宣長論は読まずに済ませるくらい)、橋本さんの言葉の誤用(カン違い)に気づいた辺りで放置したままだ。

 《小林秀雄の文体は、歌舞伎のように、ところどころで「見え」を張る。(略)小林自身は、見えを張っているつもりなどないかもしれない。》

 歌舞伎を例にしているのだから「見え」(見得)は「張る」のではなく「切る」だよネ。知識豊富なインテリゲンチャである橋爪さんにもあるこうした誤用は、最初に間違って覚えたか途中から勘違いしたままなのかはともあれ、誰にでもあることだ。ボクの場合なら、「彩色」はずっと「さいしょく」だと思っていたら、ある時から「さいしき」がフツーだと知って驚いたものの、未だに「さいしょく」と読んでいる己れを発見しることがあるネ。

 ともあれ言葉の誤用・誤読があっても橋爪さんの論の価値が落ちるということはないので、小林の「本居宣長」に関心がある人には絶対おススメしておくヨ。

 

 アーヴィングのことを書いた翌日だったか、国分寺の七七書店で『ユリイカ』のアーヴィング特集を見つけてゲットしたヨ。『ユリイカ』でも見かけない特集なので偶然に驚くばかり。早速読んだのは、特集以外の三枝和子の「恋愛小説の陥穽」という連載で、三島由紀夫について論じたもの。『シドクⅡ』に三島論を3本収録しながらも、ホモとかゲイとかは100%分からないので、その分三島の理解が行き届かないのは自覚している。三枝論は、ホモセクシャルである三島の女性観が独特であるゆえんを説得的に展開しているので、とても参考になった。数多いる三島論者からは聞けなかった三島の在りようを、興味深く教えられたネ。

 偶然と言えば、この数日間NHKBS1放映されている「カラーで見るアメリカ19○○年代」という番組で、スタインベックの「怒りの葡萄」の背景になった時代背景を見たばかりのところ、同じ七七書店で「新潮世界文学」のスタインベック集を発見して思わず買ってしまったヨ。アメリカ文学については、フォークナーは昔から読む気で数冊買ってあるのにほとんど未読のままながら、まったく読んだことのないスタインベックまで読めるほど長生きする可能性は無さそうなのにネ。