【読む】見田宗介と小阪修平  西部邁と中沢新一  ベートーベン「フィデリオ」

 この2人両方を知っている人はビックリする結び付きだろうけど、ボクもそれを証しだてる新聞記事を読んだ時には衝撃を受けたネ。前に書いたように、段ボールに入れたままだった昔の新聞の切り抜きから見つけた、朝日新聞(夕刊)の2016年1月22日「人生の贈りもの」の見田崇介さんの連載第5回の記事がそれ。全共闘の学生について質問されて、以下のように応えている。

 《大半の学生の行動や議論は、ひどいものだった。丸山真男さんたちが悪く言ったのも、わかるんです。しかし非常に誠実な学生たちも、いた。

 (質問)誠実とは?

 真摯(しんし)であること。たとえば「東大粉砕」をもじった「東大焚祭」を主催して、三島由紀夫と伝説的な対決をした小阪修平(のちに評論家、故人)などは、古今の思想をよく学んで縦横に用い、独創的な議論を展開していた。芯(しん)は非常に真摯でした。彼のような何人かの真剣な学生たちと徹底した激論の日夜を過ごしたことは、今思うとほんとうに、僕にとって「人生の贈りもの」でした。》

 小阪修平については以前詳しく記したのでここではくり返さないけど、見田さんが高く評価するのもよく分かる。それほどズバ抜けた理解力があって、種々の思想や状況が分かっていたようで言うことに説得力があった。映画化された三島との対決で檀上にいたのだけれど、あまり目立っていないのが残念、レベルの低い議論をする声のデカい連中のせいで発言の機会が殺がれたためだろう。

 小阪はその後しばらくしたら評論家として世に出て、著書も出しているから興味のある人は読んでみることをおススメする。啓蒙的なものも出しているから勉強になる(国分寺の七七舎の100円コーナーでも見かけた気がする)。

 見田さんの連載第8回ではプライベートなことが書かれていて、《就職した65年に結婚し、3人子どもがいたのですが、メキシコから帰国後に離婚しました。夫婦仲はよく、何の不満もなかったんですけど一人旅がしたくなって。その後、2年間旅を重ねて、帰国して「気流の鳴る音」(ブログで紹介した本)を書いた後、再婚。》(相手はゼミの聴講生とのことで、さらに3人の子供ができたそうだ。)

 時系列がハッキリしないけれど、おそらく「東大紛争」(ボクら全共闘からすれば東大「闘争」)が終ってから旅に出て南アメリカの体験を元に真木悠介の名で「気流の鳴る音」が書かれたものと思われる。それにしてもイロエロ下半身の強い御仁だネ。真木悠介の名で宮澤賢治の本も出しているから、賢治に関心のある人はどうぞ(手許にあるのだけど、賢治にあまり興味がないので未読のままだから自信を持っておススメするとは言えない。お貸しすることは可能)。

 西部邁中沢新一を東大教養部に呼ぼうとした時に、反対したのは見田さんの師匠に当たる人(?)と記したけど、時系列的には見田さん自身だろネ。西部のような、60年安保の闘士ながらも「保守に転向」したと見られた存在がやることに、全共闘運動に共感した見田さんは同調できなかったのは当然だろう。東大教養部の教員は思想色が明瞭な人がいて、小森陽一を推薦したのも(国語ではなく)社会の共産党色の人だという内情を、東大の教員から聞いたこともある。

 

(ベートーベンの唯一のオペラ「フィデリオ」を観ながら(聴きながら)ブログを書いたのだけど、いつ聴いてもツマラナイ歌劇だネ。録画したけど消すつもり、以前もそうだった。ベートーベンのクソ真面目さが災いして、観客を楽しませるより自分の思想・感情を優先してしまうから、観ても聴いても退屈なンだろナ。)