【ゼミ部】中川成美さんの論 

 ヒグラシゼミではボクの守備範囲以外の乱歩や清張を取り上げる発表者が多いのだけど、今回もそれだネ。お蔭で無知の世界を知ることができるのはありがたいけど、できれば詳しい人がオンラインでも参加してくれることを期待してしまうネ。

 

 レポーターのクリマン君が、参考文献として中川成美さんの作品論を送ってくれたので、ブログで希望する人には転送すると記した。

 視覚性のなかの文学ーー江戸川乱歩「鏡地獄」の世界(『日本文学』2011・4)

という論なのだけど、2度読んだもののほとんど参考にならないネ。少なくともテクスト分析には役立たないだろネ、原作を映画化した実相寺昭雄の映画作品論にはなるかもしれないものの、その判断はシロウトのボクにはできない。

 論文はベルグソンの引用から始まり、バフチンフレッチャー(図像学の論者)、メルロ―=ポンティ、クレーリー(視覚論者?)、ドゥルーズなどからの引用が続くのだけど、バフチンの引用から比喩として言及された「光(=言葉)」が無媒介に映画論に流用されているようで不可解、論旨について行けないのを始め「何言ってるか分からない」(サンドウィッチマン)論文だと思ってしまうのは、ボクが乱歩テクストに慣れないためなのかナ? 

 映画論としては、文学テクスト論に増して無知なので理解が及ばないネ。映画の専門家のトノ(城殿智行さん)ならこの論を理解した上で批判するのかな? 訊いてみたいものだ。無知な身には、中川さんの論が昔はやった理論とテクストのパッチワークのようにも見えてしまう。その頃味わった、問題の文学テクストの分析が伝わってこないモドカシさが想起されたヨ。 

 立教大博士課程出身の中川さんの後輩が、授業で時々この手のモドカシさを感じさせてくれたものだ。テクストの不明の箇所をどう読むのか期待していると、事も無げにスルーしてしまうのだネ。質問してもソレデイイノダ(バガボンのパパ)、と読み解きを拒否されて亞然としたこともあったナ。学会でもむかし優秀な研究者である佐藤泉さんが「苦海浄土」を発表するというので期待していたら、「ここはよく分からない」という言い方でスルーされてしまいガッカリしたこともあったネ。文学テクストこそ、細部をキチンと読み解かないと研究・批評として成り立たないと考えているのだけどネ。

 

 ともあれ以前いただいたままになっていた中川さんの単著『モダニティの想像力』(新曜社)(この表題の言い方は上記の論にも出てくる)の「序章」を読んだけど、ほぼ同じ思いをした。中川さんの「視覚性」に執着する熱い気持は伝わってきたものの、ボクには理解が及ばなかった。でも「あとがき」に《視覚の装置を研究する博物館学にその生涯をかけた亡父・中川成夫に本著を捧げる》とあったので、中川さんの執念のよってきたるものが伝わってきたネ。