【むかし話?】金井広秋  連合赤軍事件  《知識人》対《大衆》  漱石「それから」論

 ボッチの実家がある北海道のおっ母さんが、路上で転倒して入院しているとのこと、心配だネ。ボッチも仕事や研究の方で苦労しているのけれど、その上母君が入院とはタイヘンだ。ボーッとして何も感じていないように見えるけれど、あれでけっこう悩みが多いのだヨ。今まで深く考えずにヒトを不快にすることもあって(独り)ボッチになりがちなので、イチロー・ファミリーの人たちの暖かさに居場所を求めているのだから、皆さんヨロシク迎えてやってもらいたいネ。

 

 そのボッチからの情報で、以前ブログに書いた前橋高校の同級生(1年時)だった金井広秋という優れ者について知ることができた。検索すると出てくるのだけれど、金井は連合赤軍派についての小説を書いていたので少々驚いた。高校1年生の頃からハイレベルの文章が書けていたのに驚いたし、国語を始め教員たちを引かせるほどの文学の能力があった男で、同級生(3年時)の糸井重里の影もまるで薄かった(言うことが奇抜だったけど)。金井は慶応大卒後は志木の附属高校の教員になったそうで、在職中から連載していた小説を単行本で出版したようだけど、テーマがそれじゃアボクとしては今さらで読む気になれないネ。

 金井は慶大時代にブント(=社学同全学連三派連合の1つで、ごく1部が連合赤軍に合流)で活動していて沖縄反戦デー(4月28日)だったかに逮捕されて23日間留置場にいたとも聞いた。ブントにいたせいで連合赤軍事件にこだわっているのかもしれないけど、日本ではありえない状況認識で武装蜂起を意図した結果、仲間をリンチ殺人した愚行暴挙は理解しようがなく、許すこともできない。連合赤軍には関わらなかったとはいえ、金井がそんな問題に渋滞しているのは惜しい気がするだけだ。

 連合赤軍事件は戦前の革命運動における武装闘争や、戦後間もない頃の武装闘争の企図が知識人の自己閉塞した観念が、多くの犠牲者を出しながら虚しく終わったことをことをくり返しただけだ。と言っても、ボクが現在の平和な圧力団体に堕した日本共産党など、頭から信用も期待もしていないことは、誤解されないように強調しておく。《知識人》の自己完結した観念が《大衆》を巻き込んで犠牲を強いる愚行には、絶対に同調できないということだ。その立ち位置から、かつてのソ連や現在まで続く中国の様態を決して容認できないということだ。

 話を文学に戻せば、最初の『シドク 漱石から太宰まで』収録の「それから」論で、《知識人》代助の自己閉塞した観念が《大衆》である三千代を犠牲にしているのを、批判的に論じたのも同じ立ち位置からだ。初出の『現代文学』には明示してあったのだけれど、単行本にした時には削ってしまったので伝わりにくかったものと思われる。