【状況への失言】コロナ禍の生活(2)  森達也(映画監督)

 コロナ禍の下、どう生きていくかという問題でファミリーが二分しては困るので、ハッキリ発言しようと考えていたところに、イイ記事に出遭った。朝日新聞には「耕論」という連載記事があり、話題の問題について3人の識者がそれぞれの見解を披露している。1月6日は《「あっち側」という線引き》という問題をめぐって森達也さん他2名が意見を寄せている。中でも森さんのが面白いのだけど、この人には以前から注目していたのは、いつも妥当な発言をしているからだ。オウム真理教を素材にしたものなどを撮った監督らしいけど、映画は観たことはない。あくまでも新聞の発言だけの判断だけど、珍しく信頼できる人だ。

 森さんが今まで関心を抱いたのはオウム真理教佐村河内守(さむらこうちまもる=ゴーストライターに曲作りをさせていた自称作曲家)・植松聖(相模原障害者殺傷事件犯人)などという、実にヤバイ連中ばかりというのが面白い。興味を抱いただけでなく、実際に当事者と対面・対話して取材するのだからスゴイ! 相手を「あっち側」として切り捨てることをしないで、《あっち側の人たちも同じ人間であるとみなす回路を、閉じてしまわないことです。》と強調している。

 《コロナ禍の「自粛警察」も、「きちんと我慢する私」と「我慢しない誰か」を峻別する発想が入り込んでいないか、気になっています。》とも。

 鋭い・深い考察、スゴイね、学ばなければネ。

 

 今回の「耕論」には、松本春野(絵本作家)と田中克彦言語学者)も大事なことを発言している。できれば読むことを勧めるネ。