【昔話】造影剤には気をつけよう  息子の古着

 病院で胸部のスキャニングしてもらって来たヨ。喘息のお蔭で造影剤を注入されずに済んでホッとしたネ。むかし尿管結石の2度目も3度目も造影剤を点滴で注入されたことがあって、そのお蔭で尿管の石の状態がクッキリ見えてナルホドと思ったけど、後で考えればヤバイ薬(液体)じゃないかと疑いが出てきたのだナ。桐原の教科書を立ち上げた時のメンバーだったベテラン教員の大内さんも、生涯の親友だった木邨雅文も検査入院で死んでいるのが想起されるからだネ。事実は分からないけど、60才過ぎてから健康だった2人が共に検査のために亡くなったのが、偶然とも思えなくなったのだナ。

何よりも「喘息なら造影剤は使えない」という医者の言葉が、造影剤の危なさを明かしているように思えるのだネ。皆さんも造影剤を勧められたら気をつけるのだネ。

 

 前振りのつもりが長くなったけど、最近時々気づくのは自分が息子のお古(古着)を着ているのだネ。今も下着のTシャツの上に長袖のTシャツ2枚を交代で着ているし、ズボンは外には履いて出られない真っ赤な厚手のタオル生地のを、ダブダブながら毎日履いている。これ等は息子が卒業(結婚?)した時に、段ボールにつめて自家に送ってきたものだ。夏のアロハ・シャツも1つは息子のものだし、着る物以外にも箸をはじめとするマグカップなどの食器類も使っている。逆に、息子の方がボクより1回り小型なのだけど、スーツ等ボクの古着を息子が着るということは全くない。

 思えば親父とボクの関係も完全に一致しているのだネ。ボクが着ていたコーデュロイのジャケットを、親父は嬉しそうに着ていて呑み仲間から冷やかされていたし、もっと昔はボクのジャンパーを着て鼻水を出してお袋に叱られていたのも覚えている。その時は、不景気になった靴屋の若手が朝スクーターで新聞配達をするのが寒いと訴えていたので、親父が自分の革ジャンを貸して上げた代わりにボクの薄手のジャンパーを着ていたのだネ。さすがに冬場は革ジャンを着なれていたのに、息子の古着である薄手のジャンパーを着ていて鼻水を流していたわけだ。そんなところにも親父(とお袋)の人の良さが現れているのだけど、ボクが親父の革ジャンをいっさい着なかったように、ボクの息子もボクの着る物はほとんど着ないネ(唯一絹のパジャマだけは、着心地が良いのか自分のもののように着ていてジャミラに止められたことがあったかな)。

 いつか息子も孫の古着を身に付けることになるのかな・・・

 

@ BSプレミアムの「ザ・プロファイラー」で、ジョセフィーヌの生涯を見ながら。