【読む】野坂昭如「エロ事師たち」=死ぬまでの必読書

 以前にもおススメしたけど、絶対の傑作・野坂昭如エロ事師たち」の冒頭と結末だけを紹介できることとなった。学大名誉教授で日本語学専攻の宮腰賢先生が、むかし初出本文と単行本の本文とを比較したものを送ってくれたので、皆さんと共有したい。

 やはり初出より初刊本のテクスト(本文)の方が圧倒的に面白いのも、こうして比較するとよく分かるネ。メンドクサイと思う人は、単行本の冒頭と結末だけを読んで楽しんでもらえれば十分。いずれにしろ、新潮文庫で全体を満喫してもらいたいネ。学生時代の「親友」で文学と縁が無いと豪語していたカワカムリ君も、ボクが朗読してやると引き込まれるように聴いていたものだヨ。彼の一番のお気に入りは、主人公のスブヤンが女子高の校庭に咲く満開の桜の花びらが散るのを見ながら、花びら1枚1枚が処女膜だと想像している場面だネ。

 結末の場面で、死んだスブヤンのチンチンが屹立しているのはやり過ぎ(不自然)だと思っていたけど、宮腰先生の経験では実際にあり得ることだそうで、知人が死んだ時も勃起していたので看護婦はじめ皆が笑っていたとか。死ぬ前にカンフル注射を打った結果の勃起だったそうだけど、イチローに言わせれば「良い子はマネしてはいけません」!

 

 野坂昭如の『エロ事師たち』は新潮文庫に収められているので、こちらの方で読むことが多いのだろうが、昭和四十一年三月に講談社から出た単行本『エロ事師たち』の本文と、『小説中央公論』に昭和三十八年十一月~十二月に発表した「エロ事師たち」の本文とはかなり異なる。(宮腰先生の説明)

 

【初出冒頭】

 いかにも安普請とわかる床のきしみが、急にせわしくなった。つれて深い女の喘鳴(あえぎ)がきこえた。時折り、みじかい会話がまじる。

「なにいうとんねやろ、もうちょいどないかならんか」

じれったそうに、だが、まるで機械に弱いスブやん(ヽヽヽヽ)、うろたえてテープレコーダーに耳すりよせた。かたわらの、それが癖でチマチマっと両膝そろえて坐り、屑テープを丹念につなぎあわせる伴的、口とがらせて呟いた。

「あかんて、なんせアパートの天井裏は電線だらけや。ハムが入るのはしゃァないな」

「初稿エロ事師たち国書刊行会野坂昭如コレクション1』二〇〇〇年

 

【単行本冒頭】

 いかにも今様(いまよう)の文化アパート、節穴だらけの床板の大仰なきしみひときわせわしく、つれて深く狎(な)れきった女の喘鳴(ぜんめい)が、殷々(いんいん)とひびきわたる。ときおり一つ二つ、言葉がまじる。

「な、何いうとんのやろ、もうちょいどないかならんか」

スブやん、じれったげに畳に突っ伏し、テープレコーダーのスピーカーへ耳をすり寄せた。かたわらの、それが癖で滑稽(こっけい)なほどみじかい脚をチマチマッと両膝そろえて坐り、屑(くず)テープを丹念につなぎあわせる伴的(ばんてき)、口をとがらせてつぶやく。

「あかんて、それで精1杯や。なんしアパートの天井裏いうたら電線だらけや、ハム入るのんしゃアないわ」

エロ事師たち小学館『昭和文学全集 第26巻』昭和六三年

 

【初出結末】

 他に部屋あらへんかとおもい、たずねるうち先生が臨終やいわはりました。恵子さん別に変った風ものうて、それはあまり突然のことやから仰天してはんのやと考えたけど、そのうちクスクス笑いはる。なんでや、ひょっとしたら気でも狂うたんか、暗い病室の壁の中で、おやっさんの死体と気ちがいにかこまれたらこらかなわんおもううち、恵子さんハンケチをとり出して、おやっさんの寝てる方にちかづいた。後できいたことですけど、背骨のうち方によってはようあるらしいけど、おやっさんのチンポ、死んでるにもかかわらずシャンと天井むいてミサイルみたいに立っとる。私はそんなこと知らんから、もうびっくりしてもうて、おやっさんの幽霊でたみたいにゾーッとしてたら、恵子さんハンカチを、ふんどしからとびだしたその上にフワリと見事にかけて、尚もクスクス笑いこけてはる。私もなんかおかしなって、まだ死顔もそのままやのに、えらそうに白いきれかぶって、どっちゃが顔かわからへんと思わずニヤニヤしてしもた。

みればみるほど、アレはおもろい顔してます、マア、生きとるうちにかわいがったるこってすなァ。ジョンジョンジョン――              

 

【単行本結末】

 若い医者入って来て、おやっさんの手首とって、「こらあかん、いてもたわ、気の毒やけど、背骨ごつうに打って、まあ頭の骨も陥没しとるし」と気楽にいいはる。恵子はんはさすがに先生おる間はだまってたけど、おらんようなると、前よりもっと笑い出して、ハンドバックからハンケチを出し、おやっさんに近づいた。後できいた話ですけど、背骨の打ち方によってはそないなるそうでっけど、おやっさんのチンチン、ふんどしからはみ出して、死んだにもかかわらず、まるで月にむかうロケットみたいにごついんですわ。ぼくはこらどないなりよったんか、インポやったおやっさん、恵子さんかえってきたら直るいうとったおやっさん、たしかに今、恵子はん帰ってきて、そいでいうた通りにしゃんとしたんは、こらやっぱし霊魂のなせるわざかしらんと、恐ろしくなりましてん。恵子さんはそんなこと知らんから、ただそのチンチンがおかしらしいねん、ふんどしからとび出したでかい奴に、白いハンカチひらりときれいにかけて、そいで尚いっそうけたけた笑いはる。せまい室内にその声がワンワンひびき、ぼくもついつられて、およそ場ちがいなことで申しわけなかったけど、なんやおかしなって、そらそうでしょ、まだ死顔もそのままやのに、チンチンだけえらそうにまっ白なハンケチかぶせてもろて、ほんま、こらもうどっちゃが顔かわかれへんと思わず一緒に笑うてしもたんですわ、ジョンジョンジョン――。