【聴く】コロナ禍の下での演奏会  ダニエル・バレンボイム  ベートーベンのピアノ・ソナタ

 なかなか【聴く】コーナーを書いている余裕が無くて、音楽ファンの仲間にはすまない、書き始めるとキリがなくなるけどネ。【観る】方はヒグラシゼミが終ったら行こうと考えていたクールベが、いざと思った13日に終了していて果たせなかった。クールベ展は稀なので、ボクが死ぬまで再来日するかどうか・・・残念! 有名な、海岸に打ち寄せる波の絵をナマで観たかったのだけどナ~。ルーブルには女性器が見えるポーズの裸婦を描いた油絵があるようだけど(カタログには載っている)、リアリズムを貫いたクールベとはいえ、やり過ぎだよネ。ピカソのデッサンにも同じようなポーズのものが数点あったと思う。こいつ等、何考えて描いているのやら・・・画家の特権? ウラヤマシイ!?

 

 話がそれたけど、朝日新聞6月12日を遅まきながら読んでいたら、編集委員の「多事奏論」という連載(?)にバレンボイムという名前が目に入ったので読んでみた。コロナ禍を押して来日するというバレンボイムは、(昔ブログに記したとおり)イスラエルでの演奏会で禁じ手のワーグナー反ユダヤ主義故に)の曲を最後に演奏する前に、聴衆に「聴きたくない人もいるだろうから、そういう人は出て行ってもらいたい」と粋な計らいの元で演奏したという。またサイードと協力してイスラエルパレスチナの若い演奏家たちを集めて演奏会を催したとか、いろいろやってくれる音楽家だヨ。78才の巨匠の来日演奏も、そうした積極性の人らしい行動と思えたネ。

 記事はその演奏会評を岡田暁生に依頼しておいたけど、岡田さんが公演の2週間前に批評を書くことを渋ったという。地方の催しが相次いで中止になっているさ中に、当たり前のように大興行の感想など書いていいのかというためらいを拭えなかったという。それを聞いた記者もハンセイするところありつつも、批評は片山杜秀に代ってもらったとのことでナルホドの処置だネ。出たがり屋の片山なら断るはずもなく、相変らず大仰な言い回しで演奏会を絶賛している。「まるで世界一の菓子職人によるクリームの飾り搾りの至芸」という、小林秀雄も使いたがった比喩で評しているところは受け容れにくいものの、全体としてはさすがに専門家の鋭い切れ味の評となっていて圧倒される。

 片山が聴いたのは、ベートーベンの最後のソナタ30~32番のプログラムの時だそうで、上記の比喩はボクも大好きな31番の終楽章の演奏に寄せたものなので、チョッと残念。先般ブログで書いたとおり、ショパン・コンクールで優勝した後、ポリーニは他のピアニストとは異なりコンサートをせずにひたすら研鑽(けんさん)に励んだけれど、ポリーニがベートーベンのソナタのレコードを最初に出したのが最後の3曲だったのも驚きだった。「月光」でも「熱情」でもないところがスゴイのだけど、バレンボイムは今回この3曲を演奏したわけだネ。「悲愴」も含めてニックネームを持つソナタで満足していては、いつまでもシロウトの域から脱け出せないヨ、最後の3曲を聴けばそれが分かる!(ボクのブルーレイ録画もポリーニだから、貸せるヨ。)

(ちなみにボクの本は最後のがサイコーというわけではないから、誤解しないようにネ。)