【聴く】レコード・プレイヤーの復活?  グールドのモーツァルト演奏  吉田秀和

 レコード・プレイヤーを買ったのにハウリングを起こし(低音の雑音が入ってレコードが聴けない)、ジックリ聴くことができない泣き言は以前ブログに記したとおり。その後購入したビックカメラで訊いたら、プレイヤーの後部に切り換えスイッチがあるから、その切り換えができていない可能性を伝えられていた。しかし使えないと思い込んだプレイヤーの上には未読の新聞などが山積みされていたので、それを試してみるのが面倒臭いから放置したままだった。ゼミのテキスト全体も読了して感想も記し終ったので、昼間「英雄たちの選択」の特番再放送で「戦国武将最強は誰か」という議論を歴史家が2時間続けているのを聴きながら、山積みされた新聞を片付けたり・プレイヤーはじめオーディオ機器にまとわりついていたホコリを拭き取ったりして、件(くだん)のスイッチを探し出して切り換えた。(後で説明書を読んだら、このスイッチのことも含めてシッカリ書いてあった。トリセツ書の類は苦手で、常に読まないようにしているためにこの種の失敗をくり返しているジンセイだ。)

 何ということ無し、で一件落着、すぐフツーにレコードを聴くことができた。レコードの棚から取り出しやすかったグールドのモーツァルトピアノソナタ全集からK310を聴いたのだけど、例によって早いテンポで弾きまくっていた。この短調の曲は大昔のピアニスト・リパッティの演奏で聴くと、まったく別の曲のようにドラマチックに聴こえるのでモーツァルトピアノ曲では1番好きだナ。リパッティの演奏を教えてくれたのは吉田秀和のラジオ番組で、ボクの音楽にまつわる「教養」はほとんどが吉田秀和のラジオ番組(FM放送になる以前からあった)から吸収したものと言えるようだ。

 小林秀雄の音楽批評(美術批評も)はあまり感心しないけど、吉田秀和が「自分が音楽批評の可能性を獲得しえたのは、小林秀雄の『モオツァルト』のお蔭だ」という証言を読んでからは、小林の音楽批評も信じようとしている。

 

 ともあれ、これでモーツァルトのみならずブルックナー交響曲(数枚ある)もブレーズの極め付けの「春の祭典」の演奏も聴ける。もちろんボブ・ディラン(10枚超)も中島みゆき(7・8枚)も四半世紀ぶりに聴きまくることができる。サイコーだヨ。しばらくは壊れたビデオ・デッキを買い替える必要など無いネ。