【状況への失言】小林賢太郎問題(4)  爆笑問題・太田光の分析だけは信頼できる   朝日新聞と「識者」は基本が分かっていない(三島憲一・高橋哲哉・石田勇治・佐藤卓巳)

 ふだんは見ない日曜TBSの「サンデーモーニング」を点けておいたら、太田が期待どおりに小林賢太郎問題で発言していた。あえてアブナイ問題にも切り込む点では似た芸風だと思っていたので、ケンタローの意図がシッカリつかめている印象で安心した。あくまでも太田の記憶で言っていたのだけれど、ユダヤ人虐殺をネタにしたのは教育番組で主役(?)のノッポさんはじめ《偽善》的な感じなので、ケンタローはその《偽善》を撃つために敢えて虐殺をネタにしたのではないか、と推察していた。太田が久しぶりに「らしさ」を発揮した分析でナルホドと納得したのだけれど、それを若い時のケンタローが自覚していたかどうかは分からない。太田の鋭い考察が当っているかどうかは、現物を見ないと我々には判断できないネ。太田の言うとおりだったら、ケンタローは何も「反省」など表明する必要は無かったはずだし。弁明してもどうせ伝わらないと最初から諦めていたのなら、残念でならない。

 ともあれ同調圧力でもあるまいし、ケンタローを批判する前に虐殺ネタの番組の録画を放映すべきだろう、無ければ文字起こしをして誰でもチェックできるようにしなければなるまい。ケンタローの意図はどうあれ、見た上で我々が太田のように受け止めることができるか否か、を判断するのが本来の批判(賞賛)のあり方であろう。

 

 確かに微妙な問題なのでほとんどの人には伝わらないだろうというのは、28日の朝日新聞夕刊の特集記事でも明らかだ。《「人権軽視」日本社会の現状あらわに》という見出しの下に4名の有識者の発言を記者がまとめている。そろってナチやヒットラーの研究者ではあるものの、そろいもそろって的が外れているので呆れるほど。ナチ批判の業績で認められてしまうと頭が固くなってエポケ―(判断停止)状態になってしまうのだネ。反ナチズムが反転して反・反ユダヤに固着してしまい、イデオロギー(主義)にまで固定されていて無惨な様(さま)は目も当てられない。

 高橋哲哉(東大名誉教授)が《ナチスドイツがユダヤ人に対する差別意識にもとづき、民族の「絶滅」を狙って非常に多くの人命を計画的かつ大量に奪った重大な犯罪であり、欧米ではもちろん、日本でも笑いの材料にするのは許されない。》と述べているが、高橋は番組を見た上でケンタローが「笑いの材料」にしたという判断をしているのだろうか? そうとも見えないまま一般論でダメ出しをしているのだろうが、前にも書いたように「材料」だけで是非を判断すること自体が根本からして誤っている。問題は《表現》(扱い方)だというところから、高橋は再検討しなければならない。

 石田勇治(東大教授)は《2013年に麻生太郎氏が日本の改憲論議に絡めて「(ナチスの)手口を学んだらどうかね」と発言したことがあったが、氏はそのまま政治の要職に残り続けている。「ナチスって悪くなかったんじゃないか」という誤ったメッセージを若い人に抱かせる恐れもある。》と言っているが、歴代最低の脳の持ち主とも言える麻生太郎の発言とはいえ、ナチスの所業を全否定することはできないはずだ。ナチスが悪どい手口のくり返しによって政権を奪取したことは歴史的事実にしろ、他国とは別格の経済復興を果たして大衆的支持を得た「手口」と結果を頭ごなしに否定することはできないはずだ。フランスが中心になって過剰な賠償金などを課してドイツをイジメたことが、ドイツ国民がナチスを支持してしまった心情も考慮しなければならない。イジメられたドイツ民族が、ヒットラーの偏見に乗せられたままユダヤ人を虐殺した(イジメた)心理的経路も恐怖と共に理解しやすいものだ。

 

@ 長くなったので、紙面を改めて。